時の流れを味方につける | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
「時は流れない。それは積み重なる。」

という広告コピーが昔あったが、
僕がこれを書いている間にも、
時は流れ続けている。

僕らの人生は例外なく、
この時の流れとともにあるわけだ。

だとしたら、この「時が流れる」ということを
肯定的にとらえるか、否定的にとらえるかは、
僕らの幸福感に大きな影響を及ぼすはずである。

たとえば、「アンチエイジング」
なんて言葉をちらほら聞くことがある。

これなどは歳をとることに
対抗しているわけで、
その意味で「時が流れる」ことを
否定的にとらえた概念と言えるだろう。

また「時短グッズ」の流行なども
これと同じような意味を持つ。
時が流れることを肯定的にとらえるならば、
時間を短縮する必要もないわけである。

このような考え方は、
特に近代になってから普及したものであろう。

では農業などの場合はどうだろう。
作物は時間が経たないと育たないわけで、
米だったら収穫の秋を心待ちにしたりする。
これは「時の流れ」を肯定的に
とらえる行為といえるだろう。

また子どもの成長を楽しみにするのも、
「時の流れ」を肯定的にとらえている。

かつての日本の自然信仰もそうである。
伝統的な村の考え方では、
人生とは魂が穢れていく過程であったという。
そして死ぬことによって魂は自然に還ってゆき、
穢れが浄化されるという思想があった。

ここでは死が肯定されており、
それは究極の「時の流れの肯定」
といえるだろう。

この例はちょっと飛躍しすぎたが、
このような「時の流れを肯定する仕組み」を
僕らの生活の中に作っておくと、
毎日が少し楽しくなる気がする。

にもかかわらず、僕らの生活は
あまりにも「時の流れ」を否定的に
とらえすぎてはいないだろうか。

何かといえば「効率的に」「短時間で」。

そして最後は誰もが100%遭遇する
「死」というものに対しては、
ほとんど無視を決め込んでいる。

そのわりに「豊かな老後」に対しては
ずいぶんと熱心である(笑)

老人はお金を使ってくれるけど、
死んだ人はお金を使ってくれないのだから、
そうなるのも当然だろう。

ちょっと余談が過ぎたが、
とにかく「時の流れを肯定する仕組み」こそが、
毎日を楽しくしてくれると僕は思う。

それは「希望」と言いかえてもかまわない。

何かを練習することで
腕を上げることかもしれないし、
何かを育ててその成長を
心待ちにすることかもしれない。

根拠はないのに「きっとうまくいくさ」
と思うことだってかまわないと思うし、
今という時間に没頭することこそ、
実は本当の「時の流れの肯定」なのかもしれない。


なにはともあれ、
「時の流れを味方につける」。
これが、人生を肯定するための
ひとつのコツのような気がする。


(注)本日オチはございません