僕の朝食は、バナナミルクだ。
この習慣はもうかれこれ2年くらい続いている。
もちろん今日も、バナナミルクだった。
と言っても、実際にバナナミルクを
飲んでいるわけではない。
まず牛乳を少し飲んで、
それからバナナを食べて、
また牛乳を飲む。
こうすれば、結果的に体内で
バナナミルクが完成しているわけである。
…みなさんの蔑みの視線を感じるので
少しだけ言い訳させてもらうが、
僕だって最初はちゃんとミキサーで
バナナミルクを本当に作っていたのだ!
しかし言うまでもなく、朝は忙しいのである。
ミキサーを洗うのはめんどくさいのである。
ミキサーを洗うときに刃の部分が
手に当たってイテッ!てなるのである。
そこであみ出したのが、
体内バナナミルク製造法である。
ところで、「ちゃんこ」というのは本来、
力士の食事そのもののことを指すらしく、
「ちゃんこ鍋」のことではないらしい。
そして「ちゃんこ」の語源は
「ちゃんぽん」の語源と同じく、
マレー語の「チャンポール」から
きているという説がある。
これはどうも「まぜこぜにする」
というような意味らしい。
よく考えてみれば、僕たちが食べたものも、
最終的には体内でまぜこぜになる。
つまり誰もが「ちゃんこ」を
食べていると言ってよいのである。
そんなのいやだ?僕だっていやだ。
いろんな料理を食べることは
生活の楽しみのひとつなのに、
それが全部「ちゃんこ」だと
言われたら元も子もない。
でも、それを防ぐ方法がひとつだけある。
一回の食事で、ひとつの食材だけを食べるのだ。
いくら体内で全て「ちゃんこ」になるとはいえ、
「りんご」しか食べてなければ、
それは体内でも「りんご」たりえる。
そこに何かもう一品くわえてしまうと、
それはもう残念ながら「ちゃんこ」である。
つまり、僕らが「ちゃんこ」の呪縛から解き放たれ、
豊かな食生活を守り通したいと思うならば、
「朝はバナナのみ」
「昼はお米のみ」
「夜はネギのみ」
という単品ずつの食事をするしかない。
これこそが真の「豊かな食生活」なのだ。
皮肉なことだが、
これも現実と認めざるをえまい。
つまり、僕が毎日飲んでいたものも、
バナナミルクというと聞こえはいいが、
けっきょく「ちゃんこ」だったのである。
これから僕らは一生
「ちゃんこ」を食べ続けるのか。
それとも、単品ずつの生活に切り替えるのか。
究極の選択を迫られていると言えよう。