気温の変化と記憶の喪失 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
今日はあったかい。
いや、あったかすぎるだろう(笑)

12月3日にして、最高気温23℃。
これが明日の朝になると7℃にまで
下がるらしい。その差16℃。

温暖化が進むと気温の変化が
激しくなるというが、
「まさに」といった感じである。

生態系や環境、農作物への
影響が懸念されるが、
僕が個人的に心配しているのは、
「記憶の喪失」ということである。

昔の記憶というものは、
ふだんは表に出てくることはない。
何か思い出す必要があったり、
それを連想させるようなきっかけがあったとき、
記憶の奥の引き出しから取り出される。

たとえば、寒い雪の中を
頑張って登校したときの記憶は、
やっぱり寒い雪の日に思い出す。

つまり、寒い冬が来なければ、
寒い冬の記憶もまた、意識に
のぼることがなくなるのである。

まるで、建物が壊されてなくなったら、
その建物とともにあった記憶も
一緒に失われてしまうように。

それは、とても悲しいことのように思う。

このような変化は、
僕たちの個人的な記憶だけではなく、
その季節とともに生活してきた人たちの
歴史や文化の記憶さえも失わせるだろう。

このような記憶は一度失ってしまうと
もうほとんど回復することができない。

「どうやって直すのか分からないものを、
 壊し続けるのはもう止めてください。」

当時12歳だったセヴァン・スズキさんの
スピーチの言葉が思い出される。

このような言葉が頻繁に
思い出されるということが、
今の世界の状況を物語っている。

人から教えてもらったのだが、
インディアンの教えに、

「自然は子孫からの借り物である。」

というのがあるらしい。
だから壊すことなく、元のままに
返さなくてはならないという。

こういう謙虚な姿勢のことを、
本当の知性と言うのではないだろうか。