清浄なる精神 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
清浄なる精神/内山 節

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近代国家が形成されていく過程で、
伝統的な民衆の精神世界は、
意図的に破壊されてきた。

私たちが「自分の意志」だと思っていることや、
正しいと感じている「道徳」のなかに、
実は国家によって作り上げられた精神が
含まれているということを、
私たちは知っておかなくてはならない。

【引用メモ】

人間の精神の奥には何があるのか。
それは哲学史が問題にしてきた謎でもあり、
かつて普通の民衆が解こうとしてきた課題でもあった。
そういうことを問題にしてきたからこそ、
かつての人々は本当のことを知ることができない
人間の悲しさを語り、そのことからの救済を、
ときに自然に回帰することに、ときに自然の神々への
祈りに、ときに荒行のなかに身を置くことに求めた。(p17)

たとえば、「日本人の精神」としてしばしば
安易に語られるもののひとつに「武士道」がある。
しかし、こんなおかしなことはない。
なぜなら武士道は武士の精神ではあっても、
日本人全体の精神ではないからである。(p19)

日本には古代に道教、儒教、仏教の三つの渡来思想が入り、
道教と仏教はいつしか日本の社会のなかで変容しながら、
民衆思想として定着していった。(p30)

たとえばそれは古くは空海であったり、
その後の法然、親鸞、さらには道元であったりする。
だが彼らは新しい思想の創造者というより、
民衆が生みだそうとしていた思想の表現者だと
とらえたほうがいいいと私は思っている。(p31)

どんな分野の仕事であれ、「名人」の技はその人の
身体とともにあって、言葉にならない面をもつと
私たちは考えている(p34)

ヨーロッパの伝統的な思想では、
人間が自然のままであることは野蛮な状態とされた。
人間が自然から自立し、人間ならではの知性を働かせて思考し、
文明を築いていくことに、肯定できる「人間らしさ」をみた。
知性はそのための、なによりも重要な武器であった。
ところが、日本の伝統思想は逆である。(p37)

自然哲学のなかから自然科学が生まれ、経済哲学や法哲学、
歴史哲学などのなかから社会科学が生まれている。(p40)

木材輸入の自由化によって自由に輸入材が
入ってくるようになると、木材価格が低下し、
森林は財産にはならなくなってしまった。
森を手入れする重要な動機が消えたのである。(p51)

村の森、先祖から受け継いだ森という、
ローカルな自然への視線でとらえていた森が、
地球環境というグローバルな視線でとらえられる
森に変わったとき、間伐の遅れをまずいと
感じていた意識も失われはじめた。(p52)

自然(しぜん)という読み方が今日的な意味で一般化したのは、
明治時代の後半に入ってからである。(p57)

日本の伝統的な考え方では、「真理」は
ひとつではなく多層的なものなのである。(p77)

「折り合い」は昔は「居り合い」と書くのが普通だった。
折れ合って妥協点を探るのではなく、
いろいろな「真理」が共存できる方法を、つまり
「居り合える」方法をみつけだす、ということである。(p78)

共同体の意思決定に多数決はない。
満場一致しか伝統的にはありえない。
なぜなら多数決は禍根を残すからである。(p86)

日本的な発想も、それは自分たちの暮らす
絶対的な村があったからこそ成立するものであって、
そのような村を失ってしまえば意味がなくなる。(p96)

近代以前の人々は、自然や人々と
さまざまな関わりをもって暮らしてきた。
自分たちで川を治め、道を管理し、
森を維持し畑を耕して暮らした。
国家から援助を受けることなく、
ほとんどのことを自分たちでおこなってきたのである。
地域という人間社会を維持するのも同じことで、
共に助け合ったり支え合ったりする
人間関係が自分たちの暮らしを維持させた。(p103)

日本の土着的な考え方では、すべての人は死後、
自然に還り、自然と一体化して
神になっていくという発想がある。
つまり「地獄堕ち」はないのである。
浄土思想は、この発想と仏教との
融合のなかから生まれたと私は考えている。(p110)

日本の伝統的な社会、とりわけ村で
暮らした人々の発想はそうではなかった。
自然があってこその私、村という共同体や
我が家などがあってこその私だった。
そういうさまざまなものに包まれて
私は存在していると人々は感じていた。
前者を「裸の個人」と表現すれば、
後者は「包まれた個人」である。(p111)

どこかに出かける必要性が生じると、いまでは私も
パソコンに向かって飛行機や電車、ホテルなどの予約をする。
その方が確実に予約がとれ料金も安いのだが、
そのことによって「旅」が「スケジュール」
でしかなくなっていくのをいつも感じている。
自由な旅ではなく、スケジュールが
つくられていくだけなのである。(p125)

だがこの時代は、共同体である村にいれば、
公権力による抑圧はさほど重大なものではなかった。(p123)

都市のなかでしなければならないことは、
人々の暮らしの側から都市の流動性をつくりだすこと、
つまり暮らしの側からたえざる変化を生じさせることだろう。
人々が共同性や関係性をつくりながら暮らすという方向も、
この変化のなかのひとつなのだと思う。
だからそれは、村の共同体を参考にしたとしても、
原理的に村の共同体と同じにはならない。(p128)

人間の労働が他の人と交換可能なものになってきた。
だからパート、派遣、フリーターといった人々もふえつづける。
そしてそれが、労働が個人のものになった、つまり一人一人が
バラバラになってシステムの前で働くようになったことの帰結だった。(p130)

亡くなった人の行く末を、人々は仏教の文脈では成仏したと語り、
土着的な信仰の文脈では自然に還ったと語った。(p143)

人は自然に還り、自然と一体となった
普遍的な「生」をえることによって神になっていく。
この神となった人々を人間たちは「ご先祖様」と呼んだのだけれど、
「ご先祖様」は自然と同一になっているのである。
ゆえに人が神に成ることと自然が神であることは矛盾しない。(p144)

靖国神社は、幕末からの戊辰戦争で死んだ
官軍の兵士を祀るために建てられた。
その後戦争などの国事で死んだ者の霊を祀って今日に至っている。
いわばそれは国によってつくられた政策的な神社だといってもよい。
民衆が自分たちの信仰心によってつくりだしていった神社、お堂とは違う。(p153)

生きてきたことへの満足感があるから、
死を迎えることにも充足感がある。
それなら「死を語る」ことをタブー視する必要はない。(p156)

明治以降の宗教政策は、民衆の神仏の世界を、
国家神道の多神の世界に編成しなおすことを
めざしてすすめられた。(p159)

自然とともに生きることを理想とする道教の考え方は、
「無為自然」という言葉に結実している。
それは、人間が意図的に何かを為そうとするのではなく、
自然のままに生きていくことを理想とする思想であり、
この「無為自然」は「ジネン」と読んだほうがいい。(p164)

江戸の中期には各家に仏壇を置く習慣がひろがった。
とともに鎌倉時代に臨済宗の僧によってもたらされた位牌も
一般的なものになり、ご先祖様観が、「村のご先祖様」から
「家のご先祖様」へと変容していった。(p168)

人生や人間の価値は、個別的な関係のなかでつかまえなければ、
とらえられないものなのではないか(p173)

今日のグローバル化は、個別的な関係のなかに
人生や人間の価値は存在するという発想と対立するものとして、
展開しているからである。グローバルで普遍的な価値や
システムがひろがればひろがるほど、
人間たちは人生の意味や価値を見失っていくだろう。(p174)

近代国民国家が形成されていくにしたがって、
自然や共同体という「みんな」から、
国家の一員としての「みんな」に変わった。
国家のために生きることが、
「みんな」のために生きることに変容したのである。(p184)

死の意味を個人でみつけださなければならない時代は、
残酷な時代なのだと思う。(p184)

儒教では国家があてこその個人である。
この国家観、個人観をつくりだすために明治元年には
神仏分離令が出され、国家神道が整備されている。
明治五年には修験道廃止令も出されている。
神と仏を区別せず、自然に還ることを人間の理想におきながら、
自分の暮らす村を生と死の重なる小宇宙としてとらえる伝統的な
民衆の発想は、近代国家を形成するときの障害物だったのである。(p189)

国家神道を確立するためには、
この神仏習合的な自然の神を、
『古事記』『日本書紀』系の神に
置き換えていく必要があったのである。(p196)

都市とは、必要なものを自給できない社会である。
不可欠のものとして流通が必要であり、
より効率的な流通を実現しようとすれば、
「普遍的な交換財」、「普遍的な商品」
である貨幣が求められるようになる。(p215)

市場経済の発展を、人間たちが自律した経済を
失っていく過程ととらえれば、評価は逆転する。(p215)

貨幣の精神史という視点からみるかぎり、
個人の社会は、人間がお金に支配される時代を
つくりだしただけだったのである。
そしていまの私たちの課題は、社会の主人公は
お金ではなく人間だということを、どう取り戻すかにある。(p222)

現代の労働では、人々が真面目に働けば働くほど、
環境や地域が壊れたり、ときに暮らしや
家族の関係までが壊れかねない。(p243)

戦前までの日本は必ずしもそうではなかった。
家族はむしろ「家」であり、その「家」は
労働集団という性格をもっていた。
もちろん労働集団の主要メンバーは血縁集団なのだけれど、
庶民の暮らしのなかでも、労働集団である以上、
必要であれば非血縁者も入ってくる。
つまり血縁者であれ、非血縁者であれ、
家業を営む労働集団が「家」の人々だったのである。(p247)

日本の人々が本当の地域と感じる所、
それは生きていくための機能があるだけでは十分ではなく、
魂が還る場所としての諒解が
えられる場所でもなければならなかった。(p262)

私たちは自分たちの生き方を選択しなければならないのである。
基本的な部分がゆっくりとしか変化しない社会のなかで、
地域とともに生きる道を選択するのか、それとも
激しく変化する社会のなかで個人の力だけで生きていくのか。(p268)

「外」との関係に支えられることによって
「内」の自立性を確立していたのが、
かつての地域だったと考えればよい。(271)

「国」から「くに」へ、そして「僕の村」や「私の町」へと、
私たちの思考を変えていくことはできないだろうか。
もしもしれができたら、私たちの世界はずっと
平和になるという気が私にはする。(p279)

明治時代になると、国家は上からの改革を次々に実施していく。
(中略)家族や親戚や地域の人々に認められて生きる人々を、
「日本人」に切り換えなければならなかった。
そしてその軸になったのが、それまでの人々の精神世界を破壊し、
国と地方、地域の関係を中央集権的に再編することであった。
さらに近代的教育制度を導入することによって、
「日本語」、「日本の歴史」、「日本の文化」、「日本人の精神」
などが教えられていくことになる。(p294)

近代社会は、国民国家、市民社会、資本主義的な経済が
三位一体のかたちでつくられた社会である。(p296)

農村のように地域がすべてをもっているような共同体ではなく、
小さな「共同社会」を重層的に積み上げて、
全体として「共同体的暮らし」をつくっていたのが、
かつての都市の民衆だったのである。
そしてその核に、共有された信仰と、
都市の暮らしを支え合うための庶民金融の仕組みがあった。
だから都市においても、日本人であることはどうでもよかった。
なぜなら日本人であることに支えられて生きているのではなく、
自発的につくられた「共同体的暮らし」に支えられて、
人々は生きていたから、である。(p300)

そしてついに、「貧乏」も商品に変える手法があみ出された。
私が問いかけたいのは、なぜ今日の私たちはこのような社会を
「正常」な社会だと感じてしまうのかである。(p323)

自然と結び合っていなければ、
自然と人間の関係についての想像力は生まれてこない。
人間同士が結ばれていなければ、
人間はどう連帯していったらよいのかを考える想像力は生じない。
地域をどうつくったらよいのかという想像力も、
地域と結ばれていてこそ生まれてくるものである。
結びつきを失ってバラバラになった個人からは、
自然や社会、世界に対する開かれた想像力は生まれてこない。
そして、だからこそ私たちは、
伝統的な民衆の精神から学びとる必要がある。(p334)

最近読んだもので面白かった本に、三澤勝衛の
「風土論」(『三澤勝衛著作集』全四巻・農文協)がある。(p335)

経済は元々は私たちが豊かに、
幸せに生きていくための道具だった。
人間たちは充実した生を確立するために経済活動をしてきた。
ところが今日ではこの関係が逆転してしまっている。
経済を守るために人間が解雇される、
まるで不用品を捨て去るように。
私たちの等身大の感覚では理解できない
ような金融商品が世界を駆けめぐり、
いつの間にかこのお金の流れが世界を支配していた。(p341)

社会を変えたいという衝動は、
ある種のニヒリズムによって生みだされる。
それは自分のそれまでの生き方、
自分の存在自体に飽きてきたというニヒリズムである。(p349)


満足度
★★★★☆