自殺した子どもの親たち | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
自殺した子どもの親たち/若林 一美

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著者の、遺族への敬意、心遣いが強く感じられた。

子どもを自死により亡くした親の心の痛みは、
ぼくたちの想像を絶する。

そして、なかなか他人に話せないということも、
心の傷を癒すことが難しい要因のひとつになっている。

著者が世話人をしている「ちいさな風の会」は、
そんな自死遺族たちが自分たちの気持ちを語り、
共感しあえる数少ない場所。

やっぱり、人は人とのつながりの中で
生きていくものなんだ、ということを
あらためて感じさせてくれる良書だと思う。

生きる、ということのかけがえのなさが
切実に伝わってきました。

以下、引用メモです。
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死の瞬間は人の力の及ぶものではなく、
自殺も含め、私たち人間は死に方を選ぶことなど
できないのではないかと思えてならないのだ。(p15)

最愛の者との別れを見ることをしいられた目だからこそ、
極限の淵を直視させられた目だからこそ、
新緑に揺らぐ木々をまぶしく美しいと
見たのではないでしょうか。(p123)

レスター博士は、遺伝的な要因というより、
ヘミングウェイ一族は、苦痛をともなう
なんらかの出来事に遭遇したとき、
自殺がそれを回避するための手段となって
選択される傾向が強いのではないか、と私見を述べている。(p159)

同じ自死で子どもを亡くした親たちと、
突然ふってわいたように死んでしまったと思われるような
亡くなり方をされてしまった親たちとは、
死の受け止め方にも違いがあるように思う。(p169)

悲しみをもつ人の真摯な言葉のなかには、
生きる光を失った遺族が生きる支えとなる
力が秘められているように思う。
それが共有体験をもつ人の心をとおして語られたとき、
悲しみは悲しみでありながら、
人の痛みを癒していくようにも思う。(p170)

「語ること、黙すること、聴くこと」は
同じ重みをもっていることなのだ(p182)

親にしかわからないことがある。
しかし親だからできないこと、親にもできないことがある。(p196)


満足度
★★★★☆


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