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①の続きです。




その前に、妊娠中の経過を簡単に記録しておこうと思います。



本当に人って忘れる生き物ですよね。



書いておかないと忘れちゃう。

もうすでに一年前のこともうろ覚え。



来年にはもう何もかも忘れていそうえーん




去年の3月に良好胚を2個移植しまして、BT8の朝にフライングをしました。



というのも、その頃魅力的な求人を発見し、応募しようか迷っているタイミングでした。

(不妊治療と両立できそうな仕事です)



フライングしてダメならその仕事に応募しようと思って決行!



結果は、陽性ラブラブ



すぐにくっきり線が出たので、びっくりして、寝ている夫の元に号泣しながら報告をしたこと、今でもはっきりと覚えてます。



夫は、寝ぼけていたので、ああよかったね、というあっさりとした反応でした。



その後、BT11(4w2d)にβhcgを確認、BT18(5w3d)に胎嚢確認、BT21(6w2d)に心拍が確認できました。



つわりはなんとBT13(4w4d)からうっすら始まってましたネガティブ



去年の手帳を見ながら書いてます。



胎嚢確認した後はヘパリンが始まりました。

1日2回、朝と夜の自己注射です。

慣れるまでは大変でしたが、慣れたらへっちゃらです。

お腹はあざだらけだし、時々痛いところに刺して辛かったですけど。



ちなみに、2個移植をしたので、双子の可能性もありましたが、妊娠判定でβhcgが500台だったので、少しがっかりしました。



その時は、双子の大変さなんて全く想像していなかったので、双子に少し憧れがありました…大あくび



後々異常分娩になることや今の育児の大変さを考えれば、うちは1人でよかったです。




妊娠初期は少量の出血があったり、フライング検査を何度かしたりで少しメンタル不安定でした。



検索魔になってしまった結果、期待よりも不安が上回って、毎回内診台に上がるのが恐怖でした。



赤ちゃんの心拍が止まっていたらどうしようとか、



赤ちゃんが成長していくと、異常があったらどうしようとか、



しばらくずっと妊娠を完全には喜べませんでした。



先生に『順調です』と言われても、本当かな?という気持ちは拭えず。



特に私はPGTAをしていないので、NIPTの結果が出るまでは、あまり感情移入しないようにしていました。



NIPTは13週に愛育クリニックで受けました。



カウンセリングでは、全ての異常がわかるわけではないこと、非確定検査であることなどの説明を受けました。



そこで言われたのは、44歳で21トリソミー(ダウン症)の確率は28分の1ということです。

結構高い。



43歳と半年くらいの時に採卵した卵でしたが、44歳の確率で算出されました。



夫との話し合いで、もし異常が見つかったら諦めることを決めていましたので、2週間後に結果が出るまでは最悪のメンタルでした。



お腹の中に赤ちゃんがいる、でも異常が見つかったら諦めなきゃいけない。



夫の意思でした。


はっきりと、異常があったら育てられないと言われたので、もしそうなったら、そうせざるを得ませんでした。



44歳の流産率が高いことを知っていましたので、実の親にもしばらく妊娠を報告できませんでした。

しかし、つわりの辛さやNIPTの結果を聞く前の情緒不安定から、妊娠14週くらいについに母親に報告しました。



母親はとても喜んでくれました。



母親は遠方に住んでいますが、私は母親とはよく連絡を取り合っています。



不妊治療をしていることも、なかなかうまくいかないことも全て電話で話していましたが、妊娠してからはしばらく音信不通にしていました。



上手くいかなかった時にがっかりさせたくなかったので。



後になって母親が、


『実はあの、あなたから電話がかかってきた時、大きな光の玉が見えたの。絶対いい報告だと思った』



と不思議なことを言っていて、びっくりしました。



あまりそういうスピリチュアル的なことを言う人ではなかったので。



NIPTの結果が陰性だった時も、母親に泣いて喜びを伝えました。



やっと妊娠を喜べる!継続できる!おねがい



そして、安定期に入り安産祈願にも行くことができました。



不妊治療開始当時から通ってた、水天宮での念願の安産祈願でしたラブ



最初で最後の妊婦姿





ちなみに、つわりですが、めちゃくちゃしんどかったです。



常に船酔いの状態が安定期くらいまで続きました。



とにかく何をしていても気持ち悪いので、食べているか寝ているかという生活でした。



夜中に空腹で起きて、気持ち悪さをまぎらすためにチーズを食べて寝るというとんでもない生活をしていました笑い泣き



匂いもダメで、冷たいものばかり食べていました。


この頃、崎陽軒のシウマイ弁当やサミット(スーパー)のたこ焼きをよく食べていて、実は今食べれません。つわりを思い出して気持ち悪くなるので泣き笑い



そのくらい強烈でした。

世のお母さん方は、みんなこれに耐えたのかと思うと尊敬しかなかったです。



立派な食べづわりでぶくぶく太り、妊娠中期から杉ウィメンズクリニックの杉先生に、太り過ぎとしかられました笑い泣き



なんだか書いてて懐かしい。



また長くなったので、③に続きます…。


(うまくまとまらないー)