鶴舞公園へハスの花を見てから途中下車をして

名古屋市白川公園内にある名古屋市美術館で開催中の

「特別展 生誕130年記念 北川民次展ーメキシコから日本へ」

を観てきました。(21日)

 

 

 

メキシコで画家・美術教育者として活動した北川⺠次(1894-1989)。

⽇本へ帰国後は、東京や愛知を拠点に洋画壇で活躍し、⼦どもの美術教育や壁画制作にも挑みました。約30 年ぶりの回顧展となる本展では、北川がメキシコ時代に交流した作家や美術運動との関わりも視野に⼊れながら、彼がメキシコで学び⽇本へ帰国後も貫いてきた芸術への信念を再考します。絵画作品約70 点を含む約180 点の作品と資料によって、洋画家・壁画家・絵本制作者・美術教育者など多彩な側⾯をもつ北川⺠次の魅⼒に迫ります。(チラシから抜粋)

 

 

チケットとチラシ

 

 

今回の展覧会は珍しいことに、

一部の作品をのぞき写真撮影ができました。

なので作品画像が会場で撮ったもの、

作品説明は会場にて。

 

《トラルバム霊園のお祭り》1930年

前景には赤子を抱えた女性や水浴びする裸婦とともに、

メキシコらしくサボテンが生い茂る。その向こうでは、

棺桶を運ぶ葬列が坂道を上がって奥へと進み、教会と霊園、

そして重く立ち込める雲へと視線を導く。「生」を示す

赤子と「死」を象徴する葬列を一つの画面に巧みにまとめ

あげた本作は、メキシコ時代の代表作といえます。

 

 

 

《ランチェロの唄》1938年

第25回二科展に《メキシコ舞踊図》のタイトルで出品された

作品。陶磁器用の顔料、卵黄テンペラを用いて制作された。

「ランチェロ」とは農園や牧場で働く人を指す。日本では

1938年に国家総動員法が制定されたが、北川は、本作が

当時の世相を揶揄したものであることを吐露している。

 

《家族写真》1943年

描かれているのは画家自身と妻、二人の子どもです。農具を

片手に正面を見据える姿は、グランド・ウッドの《アメリカン・ゴシック》

(1930年)を強く想起させる。アメリカの地方主義を代表する同作は、

大恐慌時代のアメリカ中西部にあって、地に足をつけて実直に生きる

農夫とその娘を描いた作品として広く知られている。

 

《タスコの祭》1937年

《タスコの祭》と《メキシコ三童女》は、第24回二科展に出品された

5点のうちの2点。生木綿布を継ぎ合わせ、陶磁器用の粉末顔料を利用し、

メキシコで学んだ卵黄テンペラの技法で制作された。

 

《メキシコ三童女》1937年

 

 

会場の様子

 

《白と黒》1960年

第45回二科展出品作。1960年の日米安保保護条約の調印をめぐる

激しい反対運動に刺激を受けて描いた作品である。黒ずくめの

機動隊と、理想社会を望む白い衣服の人々が対比的に描かれている。

双方の衝突を制止するように手を前に突き出す女性は、安保闘争の

犠牲となった学生運動家・樺美智子であると考えられる。

 

《雑草の如くⅡ》1948年

北川は敗戦直後の民衆の辛苦を表すべく「VAE VICTIS(征服された者は

不幸なるかな)」のシリーズを描いた。《雑草の如く》の連作もこれに

含まれ、やはり壁画の下絵という狙いがあったという。

《雑草の如くⅡ》では、テーブルを挟んで人々が上下に分かたれ、支配と

被支配の対比が表現されている。「雑草」の語が示すように、作者の

北川は後者の立場にあり、抵抗する民衆の一人なのだと見ることができるが、

一方ここには二科展の構造が示されていて、上の男性二人が東郷青児と北川、

下が若手画家たちだとする説もある。

 

《本を読む労働者》1927年

の額縁の裏面には「SELF PORTRAIT」と記載され、描かれている人物は

北川の相貌と似ているとはいいがたいものの、メキシコに生きる一民衆として

自身を投影している可能性も指摘できよう。

 

 

《メキシコ市場の一隅》1956年

20年ぶりに訪れたメキシコ。北川がそこで注目したのは、変貌した社会とは

対照的に、市場の片隅にいる人々の昔と変わらぬ姿だった。スケッチをもとに

しており、それらが一つの画面にまとめられている。

 

《TOMATO》名古屋旧カゴメビル1962年

食品メーカー、カゴメの依頼は、同社の製品にも用いられているトマトを

主題に、旧カゴメ本社ビル(名古屋市)エントランスの壁画を制作して

欲しいというものだった。メキシコこそがトマトの原産地だと考えていた

北川は、同地からトマトの種子を取り寄せて栽培しながら、本作の構想を練った。

作品はトマトともに暮らす人々の営みが、絵巻物のように横長の壁面に展開されている。

 

《バッタと自我像》1977年

翌年に絵筆を置くと宣言した北川による、おそらく最後の自画像。特に1960年代

以降の北川は、メキシコのある部族のトーテムになっているというバッタの姿を

作品中のサインに添えてしばしば描き込んだ。26組の銅版画とアフォリズムから

なる同作には、彼の人生哲学が詰め込められている。

 

 

北川民次の作品は名古屋市美術館の常設展で何度か観て

独特の画風が印象的と思っていたところ、こうして

生誕130年にあわせて多くの作品が見る機会ができ

楽しいひと時を過ごしました。

 

 

ご訪問ありがとうございます。

 

(コメント欄は閉じています。)