今日も快晴。本当に気持ちの良い朝でしたね。
本日10:00より、河和田地区の上河内町にある桃源清水で、継体大王に感謝する五穀豊穣感謝祭が開催され、継体大王の歴史について解説してまいりました。
9:00過ぎ、まなべの館で公用車に乗り換え、河和田に向かいました。途中、霧が立ちこめ、幻想的な雰囲気でした。鯖江は盆地なので、気温が下がった晴れの日の朝にはよく霧が出ます。
10:00頃、式典が始まりました。河和田地区は越前漆器の生産地として有名ですが、漆器生産の起源が継体大王に関係があるとされています。大王お手植えの薄墨桜や大王の皇女が住んだとされる三社森など、大王ゆかりの伝承地がたくさんあります。この桃源清水もそのひとつです。
10:30頃、いよいよ私の出番です。式典会場の日陰があまりに寒かったので、日なたに移動してお話を聞いていただくことにしました(^-^)/。拙い解説をご静聴いただきありがとうございました。
ちなみに、大和王権における首長の呼び方は「大王(おおきみ)」であり、「天皇(すめらみこと)」という呼称は7世紀に入ってから、天武天皇が最初とされています。また、「継体」や「天武」というのは諡(おくりな)といって、貴人の死後に生前の業績にちなんで贈られる名前ですので、「継体天皇」という呼び方は後の時代に付けられた名称です。5世紀代に活躍した「継体」の場合は、当時は「男大迹王(おおどのおうきみ)」と呼ばれていました。