拝啓 父ヒロシ様 | Manablo

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日常のこと、BUHIのこと、 たまーに歌うたい♪





日曜日は父の日でしたね💐


今年も父の日当日には


逢うことは出来なかったのですが


テレビ電話をしました☺️




なんか可愛い顔してた❤️笑 


とても耳が遠い父ヒロシは


何を聞いても 


『お父さんは海には行かない』 


しか言わない笑



うん、お父さんが潮干狩り場の


くるぶしくらいしか


水が無い浅瀬で溺れて


砂の中でバタ足してたのを


小さい時に見たことあるから


海には絶対


行かないだろうなって思ってるよ🤣 


『野球見る📺?』って聞いたら 


『ガチョウは知らない』と返ってくるし😳



🪿🪿🪿🪿🪿🪿


笑っちゃって


全く会話にならないけれど


元気なら万事OKです🙆‍♀️✨✨



耳が遠い人って長生きするって


よく言うじゃないですか。


父方の祖父は92歳 


祖母はたしか88歳


ふたりとも耳は殆ど


聴こえてなかったけれど


大往生だった。



きっと父も間違いなく


長生きすると思うんだ。



私は子供の頃から


大のパパっ子で


いつも父にべったりでした。


冬の終わりの気配を感じ


暖かくなり始める頃


『愛美!お父さんと春を探しに行くか!』


そう言って父は


私を自転車に乗せて


家から少し走ったところにある


とても大きな公園に連れて行く。


その公園は私の住む区内では


1番大きな公園で


私と父は季節ごとに


その公園に行っては


様々な花や生き物を愛でたり


釣りをしたりして過ごした。


父はいつも図鑑を片手に


色々な植物や生き物を


探しては見せてくれた。


私が植物や生き物を


大好きになったのは


間違いなく父の影響だ。


父は父らしい威厳は


全く無い笑


私は父に叱られた記憶が殆ど無い。


私が父を叱ることは


昔から今に至るまで


数えきれないほどあるけれど笑


父からは


甘やかされた記憶しかない。


我が家はその分


母がとても厳しかったから


それで良いバランス


だったのかも知れない。


父の甘やかしで


1番よく覚えているのは


たまごっちのこと。


私がたまごっちが欲しいと言ったら


父は徹夜してお店の前に並んで


手に入れようとした。


当時、たまごっちは


爆発的に人気で


徹夜して並んで整理券貰って… 


それでもなかなか


手に入らなかった。


すると父は


私を山手線に乗せて


原宿へと連れ出した。


その当時、原宿の竹下通りには


怪しい転売品や


海賊版の品物を売るような露店が


たくさん立ち並んでおり


そこに並べられていた


3万円なんてふざけた値が


付けられたたまごっち


(定価1900円😰)を 


 父は迷うことなく手に取り


買おうとした。



『お父さん!いらないよ!私、たまごっちもういらない!そんなの買ったらお母さんに怒られるよ!』


と私は必死に


父の腕にぶら下がって止めた笑 


『でも欲しいんだろ!?欲しいものはお父さんが絶対買ってやる!!』


と息巻く父に 


『大丈夫!!大丈夫だから!もう欲しくなくなった!それよりコレが欲しい!コレ買って!』と 


無理矢理たまごっちから


父を引き離し


そのまま近くにあった


キティちゃんの


小さなぬいぐるみを買ってもらった。


本当はキティちゃん…


全然欲しくなかったけど😅


何か出さないと


父は折れない気がして。。


父は本当に良いのかと


何度も何度も私に言いながら


結局、私はキティちゃんを抱いて


父と手を繋いで帰った。


この時、私は初めて


『遠慮』というものを覚え


以降、父の前で欲しいものを


一切言うことは無くなりました笑


大人になった今


私が当時のたまごっちを


コレクションとして


集め続けているのは



きっと父との


思い出があるからだと思う。


幼稚園の運動会で


お父さんと


一緒に走りたいと言った私


父は足が悪い


子供の頃に犬に左足を噛まれて


大怪我をして以来


ずっと左足を引きずっている。


走っている姿なんて


一度も見たこと無かった。


それなのに幼い私の一言で


運動会のリレーに出た父は


走っている最中にアキレス腱を切り


救急車で運ばれた。


うちの父は


娘の為なら本当に何でもする。


たとえ無茶なことであっても。


そう痛感した。


それは兄に対しても


もちろん一緒で。。


兄は父と血の繋がりは無いけれど 


物心ついた時には


既に今の父が居て


実の子…


いや、それ以上の愛情を


父は兄に注いできたと思う。


兄が反抗期で門限を破り


外泊を繰り返し


家になかなか帰らなくなった時


母が怒って玄関の鍵を施錠し


兄を締め出したことがあった。


帰宅して来た兄が


鍵が開かないことに苛立ち


玄関のドアを殴り蹴り


大暴れをした。


その後、玄関を開けた母に向かって


兄は暴言を吐き


母のことを突き飛ばした


その時、普段全く怒らなかった父が


兄の胸ぐらを掴み


思い切り兄の頬を拳で殴った。


兄は口から血を流して泣いていたが


それ以上に父が声を出して


泣いていたのが


私には印象的だった。


暴力はいけないことである。


でも、父は全力で


兄の父になろうと


頑張っていたんだと私は思う。


きっと殴られた兄よりも


父の方が痛かったはず。


兄の反抗期はその日を境に


ぴたりと止んだ。


何年か前私が実家に行くと 


兄が先に来ていて


実家のドアの前に立っていた。


『どうしたの?入らないの?』と 


 声をかけたら 


『愛、覚えてる?俺が親父に殴られた時のこと。あの時、俺がドア殴った時についた傷がさ、今もあるんだよ。』と


兄は笑いながら


くっきりと残ったドアの凹みを撫でていた。


『本当に悪かったもんね、お兄。私、あの頃のお兄は、めっちゃ嫌いだったー。』  と言ったら


兄は苦笑いしていた。


色んなことがあったね。


今では若かりし頃の父の写真を


Tシャツにして


ペアルックするような


兄妹になりました👨🏽👩🏻‍🦰笑



なかなか楽しい兄妹に


育ったと思わない?お父さん☺️ 


これからも元気に


楽しく長生きしてね。






いつもありがとう❤️