いままでの地球表現媒体では

肉眼で視た情報と、

自分の人生の経験や

家族や所属する社会から得た判断基準を元に

物事を「認知」していました。

 

それがなんであるか?

自分にとってどんな影響をもたらすものか?

都合のよいものか、害をもたらすものか?

優れた価値を持つものか、劣った取るに足らないものか?

自分にとって好ましいものか、疎ましいものか?

 

そうした「意味付け」をしてきました。

 

 

 

これからの表現媒体では

より実相を直接受け止めてしまうようになっていきますので、

「認知」をしていた頃のような

何かと照合して判断するようなプロセスが減ってゆきます。

 

いままでも

人間的にあまり善い人ではないのに、何となく憎めない

図々しく甘えてるなってわかってるのに、放っておけない

そんな言葉にできない感覚を感じてきたと思います。

そうしたエネルギーや波動の 引力や反発を

よりストレートに感じやすくなっていきます。

 

 

 

でも

ある日突然、物質世界→実相世界へ

がらりと変わるわけではありません。

人によって変わるスピードも

感性の鋭さも違ってくると思います。

 

アストラル界では理路整然と整列します。

持つ波動のまま、振動する密度のまま、

ただ在るし、エネルギー法則に従って整列が起こります。

 

 

 

ただ

肉体を着た状態で

物質世界の認知から実相世界の整列(識)に移行するには

玉ねぎの薄皮を一枚一枚はいでいくように

過渡的に棲み分けていく必要があるかもしれません。

 

 

 

「エネルギーとして直に感じる」ようになっても

一瞬にして識につながるわけではない方も多いです。

このエネルギーはなんだ?

自分とはどう違う?

好きか、嫌いか?

いままで5感や左脳的認識で物事を「認知」していた癖で

同様にエネルギーや波動の質をまず「認知」しようと試みます。

 

そして

アストラル界では波長やお役目によって棲み分けていますが

荒い密度からは精妙な密度は感知できなかったり、認識できなかったりします。

肉体を着た状態でエネルギーを感じた時に

整列が起こらず、「認知」しようとすると

解らないもの、理解できないものには違和感を感じます。

 

ニュートラルに実相を紐解いてみると

単に階層が違ったり、お役目が違うので感知できないだけっだったりします。

どちらが良い、悪いもなく、

それぞれがそうした振動数でいま活動しているだけです。

 

 

 

過渡期に「認知」をして違和感を感じた時に

3次元の集合社会では

「異物を排除したい」集団心理が

まだ残っているように感じます。

 

そうしたことを心に留め置いて

過渡期を棲み分けて 穏便にお過ごしください。