旧カルマシステムでの 亡父の今世の人生を振り返ります。

(通常こうしたお話はアメンバー限定で公開しております)

 

 

 

祖父は東京の下町で 元は蔦屋をしておりました。

(地本のTUTAYAさんとは一切関係ございません。

 伐採した木枝や蔦などの廃材処理を承る業者です)

埋立地であった今の土地に越してきて

船舶の油圧ピストンなどの大型旋盤の鉄工所を営みます。

 

9人の子を設けますが、3人は肺炎や赤痢で子供のうちに亡くなり

最後の9番目の子は死産、産後の肥立ちが悪く祖母も亡くなります。

兄弟4人、妹1人が残りました。

 

5人の子供を抱え、娘1人を連れた未亡人と再婚します。

 

鉄工所の2階に従業員が住んで居り

従業員の寝タバコが原因で火災が起きます。

修繕するも、しばらくして裏の別の会社の工場が死者の出る大火事となり

もらい火で工場&住居スペースすべてが全焼します。

建て直して再開するまで暫くかかります。

経済的にも、精神的にも、経営は大変であったようです。

町会長、PTA会長なども引き受け、留守が多かったようです。

 

 

 

祖父の後妻さんは奥様然と構えたい方で

子供たちに家事を割り振ってやらせ

継子たちにあまり愛情をかけませんでした。

兄弟で助け合うこともなく、やや険悪な家族でした。

 

長男が亡くなった後、次男である伯父が長子となりました。

呑んだくれて ろくに仕事をしないので

3男である父に ゆくゆくは会社を継がせようということになり、

長子を差し置いて継ぐのだから、と無給で働かされていました。

 

無碍に扱われている父を不憫に思い、曾祖父が同居することとなります。

祖父がシュレッダーの前駆体となる粉砕機を開発し

「危険だから絶対触っちゃダメ」と皆に厳しく言っていたのに

機械展で発表する前日に

曾祖父は興味本位で稼働し、巻き込まれて亡くなります。

身内の事故ですのでこの技術はお蔵入りし、

後日他の業者に引き取られました。

 

 

 

後妻さんは 父をひどく嫌い、いじめていました。

連れ子の娘を嫁に出さず、

長子である次男と結婚させ、会社を継がせたい。

ここには書けない大人の手段で 自分の娘に次男の子を妊娠させました。

それを機に 次期社長は次男となります。

 

当時父には年上の彼女が居ました。

結婚したいというと

水商売で働く女性を家に入れることはいかん!と猛反対され

家を出ず、会社に残るなら お見合いで結婚しろと命令され、

無給で貯金もなく、自立できず、親に従い母と結婚することになりました。

 

父は5歳の時にジフテリアにかかり、

死にかけますが奇跡的に助かります。

ただ医師に「助かってももう普通の生活はできない」と言われます。

その所為と諦めて誰も面倒を見ないので

中学を卒業しても自分の名前すら書けずにいました。

若い時から少しびっこをひくところもあったようです。

それ以外は普通に生活できていたようです。

 

 

 

結婚して2年後に長男(兄)を授かり、産後すぐに私を妊娠します。

性欲が強く、避妊をしないのに無責任に「堕ろせ」と言います。

「貧乏で生活もキツイのに、堕ろさないのなら

 俺は面倒見ないからお前だけが育てろ」という条件で産むこととなります。

私は残念ながら胎内記憶があり、

母が「堕胎という殺人に自分で手を下すのは嫌だ、頼むから堕りてくれ!」と

4世帯分の90ℓごみペールを運んだり、

大きな漬物樽を持ち上げたりしているのをすべて観ていました。

 

出生届を出さないのを不憫に思って祖父が役所に提出してくれます。

受理されたのですが、何故か届け出がないことになっており、

私は6歳まで戸籍がありませんでした。

(祖父が奮闘して小学校に進学できるよう、戸籍に載せてくれました)

 

 

 

父母が私を産む産まないでもめた辺りから

父は急激に足腰が痛み、歩行困難となり、脊髄小脳変性となります。

障害者であり、充分に仕事が出来ないことを理由にお給料を半額に減給されます。

継祖母の連れ子であり、次男と結婚した伯母が会社のお金で金銭トラブルとなり

離婚して家を追われます。

継祖母と母の2人だけで3世帯の家事を回さねばならなくなり

母は嫁であり、使用人のように本家に使われます。

 

時代と共に重工業が衰退し、経営難となり土地を売り

祖父母も亡くなり代替わりします。

父は働けなくなり、家で内職をしていました。

 

 

 

ある時母が友人を家に連れて来て父に手かざしをさせます。

いろいろな方から善意で勧めてくださるそうした申し出を父は断っていました。

何故か今回は受ける、と従ったのです。

母の友人は色白でむっちりとした父好みの女性だったようです。

その女性が私にくださった海外のホワイトチョコレートのお土産も

翌日に無くなり、ホワイトチョコが苦手な父が取ってしまったとのこと。

 

難病で10種以上の薬を常用していたのですが

ひどい高血圧で 血圧の薬だけは欠かさず飲まねばなりませんでした。

手かざしの女性が「大丈夫です。信じて」というのを信じて

血圧の薬を断薬します。

断薬後3日目の朝に 赤黒い顔をして酷いイビキをかきます。

享年42歳、クモ膜下出血で自死の道を選びました。

 

 

 

ヘビーな内容で申し訳ございません。

次回は 父との死後のフィードバックのお話になります。