今世の出生以前の記憶を少々。
まず第一に、「島のおばあちゃん」を選びました。
(母方の祖母は伊豆大島出身です。)
胎内記憶の体験談では
子供が自分でお母さんを選んだ、というお話をよく聞きます。
「優しそうだったから」「お母さんを助けたかった」など…。
私は 祖母を選び、母親は”借り腹”という意識が強かったです。
2年程前に ある先生から
「出生する際の卵子は 母親ではなく、祖母が14歳の時に決まる」という話を聞きました。
私には真偽の程はわかりませんが、
ミトコンドリアレベル(ソマチット値)で 血脈を選ぶ、ということはあると思います。
恐らく、後の意識の発現レベルに影響があるものかと。
祖母は7人の子供を産み、3人の娘のうち 子供を産んだのは私の母だけでした。
断片的な胎内記憶もあり、子宮内から見る腹腔内の様子は
皮を剥いた巨峰の果実を 薄いグリーン→オレンジ色にして、種の位置から逆さまに観ている感じです。
家が貧乏で 私を妊娠した母に 父親は堕胎を勧めます。
母は 子供への愛情からではなく、堕胎という殺人を犯したくないために
4世帯分のごみバケツを運んだり、寒い冬の冷たい水で漬物樽を洗ったり
何としても自然に堕りてくれないかと 必死の努力をしていました。
胎内で まだ成人に近い意識で そうした生育環境をすでに承知していて
親に出生を望まれないことに傷ついたりせず
むしろ 堕りないよう必死にしがみついていました。
また 常時胎内に意識を置いているわけではなく、生育過程に必要なエネルギー体のみ置いて
緊急時以外は あまり胎内に居ませんでした。
頭に光の長い針を刺して
胎生期、乳児期の「愛着障害」の有無を調べるテストがあります。
私は胎生期はなく、乳児期のみありました。
胎生期に充分な愛情を受けていなくても 胎盤の循環を通じて生命は維持されます。
出生後は 母乳やミルク、おむつ替えなど 生育者の手を借りて命が保たれます。
乳児期の危機感が 残ってしまったのでしょうね。