今日も2つ目のブログです。
昨夜、ママの罹患についてブログ書きましたが、
それに関するワタシのあれこれ、を書いていきます。
自分の誕生日に、弟から知らされて発覚したママの罹患。
2週間以上前に診断が出ていたにもかかわらず、相談もなく、報告もなく、なんだかなーもやもやした気持ちになった。
(翌朝起きたとき、ダンナのいとこが前日(=つまり私の誕生日)に急逝したことを知ります・・ホント、なんて日だ!!)
あとから、悲しむ時間は少しでも短い方が良いから、誕生日前はかわいそうだし、
20日くらいには報告する予定だった、と、
ママからも、おばからも伝えられましたが。。
顔を見た方が安心だし、と、7/19に実家へ行く予定にして、
伊豆帰りの途中、小田原でかまぼこを買い(柔らかいものが食べやすいと思って)、
帰りに高島屋へよって、ゼリーや水ようかんなど、のどごしの良いものを買って帰宅したら、
おばから電話。
「ママはしゃべりにくいから、おばちゃんが先に説明するからね」と、詳細を教えてくれました。
それで、コロナも心配だし、東京からわざわざ来なくて良い、ってことだったらしい。
でも、弟は、帰ってきてあげてって言うし、
お土産も買ったし、
声を聞かないと…(しゃべれるのか不安だったけど)一応ママにも電話。
かすれてはいるものの、聞くことはできた。
「来ないていいよ、大丈夫」とママも言うけど、この声を聞く限り、大丈夫とは思えない。
「かまぼことか、ゼリーとか用意して持っていくつもりだったけど、宅急便で送ってもいいし、
コロナだから、、っていうなら、玄関先で渡すだけでもいいよ。」と伝えると、
「せっかく来てくれても、それじゃあ、、」っと言いつつも、
「でも、嬉しい、」と。
めずらしく、そんなことをポロッと言うので、実家へ行くことにしました。
以前、まだ仲良くしてくるころ、チョコクロ(サンマルク)のが好きだったので、欲しい?と聞くと、食べたい、と。
あとうちの近所で有名なのは、どらやきだけど、食べたい?と聞いたら、食べたい、というので、買い物を済ませてから向かいました。
玄関先で、すぐ、、と思っていたけれど、
家には入らず、
外の駐車場のところで、顔を見ながら話しました。
ソーシャルディスタンスは?!って言うくらい、近くに座ってきて、びっくりしたけど、
あ、、不安なのかな、と思ってそこは突っ込まず。
パパと弟も外へでてきて、ウチのダンナも含めて5人、外で。
なんだかんだ小一時間外で話しました
(みんな、もちろんマスクで)
電話をくれた叔母は、車で15分くらいのところに住んでいるので、叔母のところにも連絡をしたら、顔みたい、とのことで、寄り道。
叔母の家そばのショッピングセンターのフードコート(店舗はクローズ)でおしゃべり。
叔母は乳がんで手術・抗がん剤・放射線のフルコースを経験、
8年経ったところだそう。
あと2年よ!と嬉しそうでした。
(乳がんは10年の経過観察/大腸は5年)
叔母は、ママより3つ上のお姉さん。
コロナになってから、月2くらいであっていたママとのランチもやめていて、全然あってはないんけど、毎日電話で話してるのよ、なんて教えてくれた。
弟が誕生日に伝えたことについても、心を砕いていたようで、あの子も悪気があったわけじゃないし、責めないであげてね、
おばちゃんも誕生日は終わってから連絡するつもりだったから、と説明してくれた。
ウチのダンナと馬が合うようで、ダンナの方ばかり見ながら話しているのがおかしかったけど、
自分で気づいたのか、「マナ、ごめんね、おばちゃん○○(主人の名前)くんばかり見て話してて。嬉しいのよ、久しぶりにあえて!」と。
ダンナとおばちゃんの再会は、マナの入院中以来、かな。
おばちゃんは電車を乗り継いで、一人で病室へお見舞いに来てくれたんです。
これからはもう少し会う機会増やそうね!と言ってお別れ。
帰りは、また車で20分くらい行ったところにある、中高の友達の酒屋さんへ顔を出しました。
実家の行き帰りに寄らせてもらっていたのですが、ここ10年くらい実家と疎遠だったので、酒屋さんへ顔を出したのもしばらくぶり。
友人とは年1-2回は逢っているし、LINE等でもやり取りはしているけど、今年は、年明けにあった以来。
顔を見れて嬉しかったなぁ〜
話聞いてもらって少し落ち着きました。
N、ありがとう❤️
ワインたくさん買ってきて、毎日の楽しみにしています。
その後、1週間後のママの入院に間に合うよう、色々調べたり、注文したりして、
合間にヨガ🧘♀️、
(レッスン中は考えなくて済むから、余計にレッスン参加してのかも)
4ヶ月ぶりに八ヶ岳の別宅へも行きました。
これらが、ここ2週間くらいでの出来事。
こうして振り返ると、大変だったなぁ…
ずーっと疎遠だった実家へ帰るのも、電話するのも、なんかなーと思っていたし、
心は優しくても、言葉でいつも攻撃してくるママ。
マイナスなことばかり言ってくるし、あまり関わりあいたくなかった。
お互い傷つけあっても仕方ないから、疎遠にしていたんだけど、
喉ってきいて、
声が出なくなるかも…で、
真っ先に思ったのが、
「ちゃんと言いたいことを伝えないからだよ!」ってこと。
こんな風に思っちゃうんだ…って、やすらぎの里で食事を一緒にしたダンディさんに話したら、
「それは言わないであげて、今は弱ってるから、優しくしてあげて、」って言われたから、言わずにいます。
マナが入院中、優しくしてもらえなかったもん…って思うところもあったし、
色々複雑な心境もあったけど、
でも、出来ることはやってあげよう。
美味しいもの食べて、
気持ち良いもの身につけて欲しい。
自分を、大事にしてほしい。
下着セットの他、パジャマも送ろうか?ってきいてみたけど、洗濯とか大変だから、病院の借りるわ、と。
肌触り良くないよー?と思ったけど、パパに洗濯を頼むとか、
治療中に洗濯のことを考える方が負担みたいだったのでそれはやめにして。
できることをしたからか、気持ちはだいぶ落ち着いています。
こう思えるようになったのも、きっかけがいくつかあって、
一つは、やすらぎの里でご一緒した母子さん。
結婚したばかりの娘ちゃんとお母さんのふたり旅。
とってもとっても仲良しで、こんな母子っているの?!と目を丸くしちゃいました。
お母さんがとっても可愛いくて、結婚して離れちゃった娘ちゃんと再会すると嬉しいけど、帰っちゃうとき泣いちゃうのよ。。なんて言うんです。
子離れできてないのよ〜なんていうそのお母さん、とっても可愛くて羨ましかったなぁ。。
それからもう一つ、いつも読ませてもらっているブログ。
たまに相談コーナーがあって、折り合いが悪い母(年齢を重ね、病気との戦い、介護の問題などが浮上)と娘(相談者さん)の関係について質問があり、回答されていました。
そこで、いろいろと思うことがあったとしても、できることをやっておこう、あとあと、自分を責めてしまわないようにも、というような記述がありました。
そうだよな〜とその時は流して読んだけれど、今思いだして、あーーそのとおりだな、と。
とりあえずは、やれることやったので、だいぶ、気持ちも落ち着いています。
とても良いタイミングでやすらぎの里へ行ったんだな〜
たんたんと日常を送る、ということや、
ヨガをして体を動かすこと、
お話したダンディさんや、仲良し母子さんなど、いろんな出会いがありました。
先生のあり方も、とっても参考になったし、とてもとても良い影響をもらえました。
ホントのことを言えば、
治療がはじまった大学病院は、コロナ患者受け入れ拠点なので、心配は増えるし、
がん専門病院の方が良かったのでは?と思うところもある。
でも、ママがこの先生、と思えることが一番大事だと思うので、祈るしかないです🍀
コロナ拠点病院ってことは、設備は整っているから安心、と思うしかない、かな。
ママの罹患に際したワタシのあれこれ、これでおしまいです。
あ、最後に。
以前からも書いていますが、
ワタシ自身もがん経験者ではありますが、
がん患者、だとは思っていません。
というか、思うのをやめました。
言葉のもつ威力って強力だから。
もし、いまブログを読んでくださっている方で、いままさにがんを経験しているお仲間さん。
ぜひ、“経験しているだけ”であって、“がん患者”にはならないでくださいね。
細かいことだけど、大きな意味があると思うので、最後に書きました。
長い心のブログでしたが、読んでくださった方、ありがとうございます😇