震災から11年は山元町へ | ミトマナ 日々日記

震災から11年は山元町へ





3月11日。

震災から11年が経ち、抗原検査の「陰性」も確認し今回は宮城県に戻ることができました。


誰にも連絡せずに山元町を訪れると、コロナで行けなかった約2年の間にだいぶ変わったところもありました。

そんな現状や今の様子をリアルでお伝えしたく、雑ではありましたが急遽ライブ配信もさせていただきました。


毎年竹灯篭に灯りを灯していた《旧山下駅》は道路ができていたり、「みんなのとしょかん」も新しくなっていたり。


竹灯篭と法要はその新しい「みんなのとしょかん」で行われていました。



11年前の今日の事は、今でもよく覚えています。

いつも「私に何ができるのか」を考え、微力ながらできる事を続けてきました。


その中の一つに《被災地発信ソングプロジェクト》にも関わらせていただき、被災者の方々と一緒に歌ったこともありました。

その時の様子を含めて、先日お世話になっている佐多直厚さんがYahooニュースに記事を書いてくださったので添付します!

https://news.yahoo.co.jp/byline/satanaoatsu/20220307-00284604


【未来への扉】という曲は、私が2013年にリリースしたミニアルバム《今を生きる》にもカバーさせていただき、収録されています。


何もできていない自分に落ち込んだりする事もありますが、学んだことを後世に伝えていくことも大事。

支援活動でさらに強く感じた「耳の聞こえない人に情報を届ける」という必要性をこれからも伝えていきたいと思いますバイバイ