震災から3年。。
震災から3年の3月11日。
私は宮城県の山元町にいました。
とても天気が良く、鳥が飛び立とうとしているような雲が、メッセージのように感じました。

奥の建物、瓦礫処理所でしたがここはもう取り壊しているところだそうです。

普門寺に到着すると、長靴などの道具を片手に作業のお手伝いをしに行ったつもりでしたが、住職の強い希望で、法要の後に歌を歌わせていただく機会をいただくことになりました。
この日は全国からお坊さんが来てくださっていましたが、実は副住職が修行中に震災が起き、その時に一緒に修行をしていた仲間がみなさん自ら集まってくだったそうです。
震災当時のお話は伺っていたので、感動で胸がいっぱいになりました。


14:46。
サイレンが鳴り響き、みんなで黙祷を捧げました。
始まりからずっと込み上げてくるものをおさえながら、全身震えてしまいました。
法要のあと、話はじめから涙が止まらなくなってしまいましたが、精一杯想いを伝えられるよう心を込めて歌わせていただきました。


私には、本当に小さなことしかできません。
私が毎月行ったところで、復興につながっている訳でもありません。
3年間、通いながらもずーっと自分に何ができるのか悩み続けており、無力感でいっぱいです。。
でも、唯一私にできることは見つけました。
それは「伝えること」です。
月日が経つにつれ忘れがちになってしまいますが、皆さんが忘れないということが本当に大切だと思います。
そして障がいがあっても病気でも、みーんな何も違わない同じ人間です。
たくさんの方々との出会いで感じた本当に大切なことを伝えて行きたいと思います。
そして音楽を通して、一人でも多くの方が笑顔になるよう活動を続けて行きたいと思っています!

夜はみんなで「旧 山下駅」と「旧 坂元駅」に分かれて行きました。


ここまで復旧はまだされておらず、ずっとこのままの状態です。
2カ所で竹灯籠が行われ、私も灯させていただきました。

そくなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、まだ見つかっていない方々が早く家族の元へ帰れますよう、心から願っております。
1日も早く、心からの皆さんの笑顔が見れますように。


坂元駅の方は周りに何も無いので本当に暗くて寂しい場所になっておりました。

テントの屋根もつけず、星が見れるようにしていました。

本当に寒い中、皆さん最後までお疲れさまでした。
皆さんと共に3月11日を過ごすことができ、本当に良かったです。

