3.11 東日本大震災から1年 | ミトマナ 日々日記

3.11 東日本大震災から1年

$水戸真奈美


3月11日PM2:46

皆さんはどの様にお過ごしでしたか
日本中が同じ時間に黙祷をし、日本中が一つになった瞬間を感じました。

昨年の地震の時は、私は東京の銀座を歩いていました。
経験した事も無い大きな揺れ、足下は地割れ、地上の銀座の高層ビル街は現実とは思えない光景を目にし身動きすら取れない状況でした。

震源は、ここ東京だと確信していたところ、近くにいた車から聞こえたラジオで宮城が震源地だと分かった時には、震えが止まりませんでした。
慌てて両親へ電話をしましたが当然つながりません。
テレビに映し出される信じられない光景に言葉を失い。
家族とは連絡が取れないまま泣き続け、眠れない日々を過ごしました。

家族の安否が分かったのは4日後でした。
幸い家族全員無事なことが分かった時の安堵の気持ちは、忘れることが出来ません。

災害の全貌が分かるまでには、かなりの時間を要しましたね。
連日信じられない死亡報告。
安否が確認出来ていない友人・知人の気持ちを考えると居てもたっても居られませんでした。

私の支援活動は、やがて311を意義のあるものにする活動へと変わってきました。
私にはあっという間の1年でした。

この一年で、歌を通じて沢山の方々と出会い、沢山の友情と絆が生まれました。

311を迎え、これからの支援の重要性を再確認することが出来ました。
私に出来ること・・・・これからも頑張っていきたいと決意しました。


私の311は、山形県の村山市で歌うことが出来ました。

山形の方々は、地震や津波の大きな被害は大きな被害は少なかったようです。
しかし、ライフラインが寸断され不便な生活に長期間強いられたそうです。
山形件村山市は支援の町でした
「できる支援をしていきたい」という思いや「決して忘れてはいけない」という思いで
【3・11 絆 ~村山市は3.11を忘れない~】
というチャリティーイベントが行なわれました。

このイベントは、「特定非営利の団体活動法人 ポポーのひろば」さんがが中心になり、多くの方がさまざまな支援を行ってきました。
この日も、募金活動を行うグループ、炊き出しをするグループ、バザーをするグループなどに分かれて、生き生きと活動する姿が印象的でした。

$水戸真奈美

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困った人達の為に頑張ろうという気持ちとそれを実践する姿に、これからの活動のエネルギーをもらうことが出来ました。

私はその中、貴重なイベントの中で講演と手話ライブのお時間を頂きました。

$水戸真奈美

この1年間でたくさんの出会いをし、色んな事を学び、色んな事に気づかされました。
そして何よりたくさんの勇気をいただきました。

$水戸真奈美

歌いながら、1年前のこの日、色々な人の苦しみ、悲しみ、そして沢山の涙を思いこみ上げるものを抑えることが出来ず声を出すことが出来なくなりました。
声の無い手話だけの歌。
プロとしては恥ずかしいこと。
でもこの日ばかりは私にとっても特別な日。

昨年の5月気仙沼のリトルリーグの支援をした時も、子供たちにもらった笑顔のパワー。
野球場や学校の校庭には、自衛隊の基地になりテントが張られていたり、仮設住宅ができたり、遊び場は失われ、仲間たちも離ればなれ。
そんな子供たちは早い時期から笑顔で前に進み始めていました。
一日も早く、我慢する事無く、思いっきりグラウンドや体育館でスポーツができるようになることを願っています。

南三陸町で最後まで防災無線で避難を呼びかけた遠藤未希さん。私に使命を与えてくれました。
「天使の声」と言われた未希さんの避難アナウンス。たくさんの方の命が守られました。
そして、手話を学んでいた未希さんの心の声。
未希さんとの出会いは、私が手話シンガーであること、私の役割とこれからの道を示して下さいました。

私にとって大切な言葉、障害を持った方から教わった「前へ進む為の2つの勇気と笑顔」
今回の大震災で、被災地の方々の前に進む姿に、この言葉の意味を再認識させた頂く事が出来ました。

$水戸真奈美

この日のライブは、こんなお話しをさせて頂き、みんなで一緒に笑顔で歌った手話歌は生涯忘れることが出来ない大切な思い出となりました。

$水戸真奈美

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セレモニーは、晴天のもとで行われました。

$水戸真奈美

作文を読んでくれた工藤拓真くん。
震災の3日後には家族と共に母上のご実家の宮城県東松島の被災地に入り支援活動を行っていたそうです。
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子育ち支援事業「親子交流広場」の代表、佐藤千津さんがお手紙を紹介して下さいました。
内閣府の「家族作文コンクール」で特別賞を受賞したという、まなみちゃん(4歳)がノートに書いたお手紙です。

「ままへ。いきてるといいね。おげんきですか。おてがみとあやとりと ほんよんでくれてありがと」
「ぱぱへ。あわびとか うにとか たことか こんぶとか いろんのおとてね。」

私と同じ名前の4歳の「まなみちゃん」が書いた手紙。
$水戸真奈美


そして、2:46。
サイレントともに黙祷を捧げました。
日本中が一つの絆で繋がった。そんな感じがしました。
日本人にとって、311は、忘れてはいけない日だと思います。

こういう大切な日に呼んでいただき、本当にありがとうございました。
そしてこの大切な日に出会えた皆さんとの絆もまた、大切にして行きたいと思っています。

山形から福島の南相馬市に向かいました。

昨年お世話になった神戸「FMわいわい」の日比野さんが南相馬の災害FMのサポートに来ていると聞き駆けつけました。
日比野さんは、阪神・淡路大震災の時に災害FM放送を立ち上げた方です。
災害時のラジオ音声情報は重要で、その経験を生かし被災地での災害 FM立ち上げに尽力されました。

相変わらずの、素敵な笑顔に励まされました。

体育館への導線には、キャンドルが並べてありました。

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体育館の中にもたくさんのキャンドルが並べられ、ステージイベントは演奏や合唱。
キャンドル一つ一つにメッセージが書かれて、復興を願う皆さんの思いが強く伝わってきました。

$水戸真奈美

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この日のことも、忘れられない一日となりました。
これからも被災地方々の気持ちを大切に、私は手話で歌うことに使命を感じ頑張っていきたいと強く、強く決意しました。