の続きです。
でも僕たちは、日常生活の一日一日に追われているので、意識してこのような問題を提起する機会も、答えを見つけようと努力する時間も余りない。僕たちには、色んな義務や気を逸らされる雑事が多すぎるのだ。そして、答えは簡単には見つからないし、探求すると自分が不安になるので、疑問は心の片隅に押し込めておくのだ。そうすれば、苦しみが軽減されるとでも思うのかもしれない。
これらの疑問の一つ一つに答えはあるのだろうか?ありきたりな答えを求めているのではなく、本当のことが知りたいんだ。真実は存在するのか?何が真実なのだろう。どこに真理を求めるべきか。そしてそれが本物だと、どうして分かるのだろうか。
僕は、常に懐疑的で疑い深い人間だったが、探究心も旺盛だった。いつも自分自身で物事を確かめるのが好きだった。だから、小さい頃から教えられた宗教・哲学・科学の中に答えを見出そうと、ずっと長い間探し求めて来たのだと自信を持って言える。
そしてどの分野にも、世の中の理解が深まる独自の宇宙観があったが、自分の現実をありのままに説明するには、宗教にも科学にも限界があるように思えた。いつも現実からかけ離れた、中途半端で矛盾し合う答えしか得られずに、僕の疑問が解消することはなかった。深く追求しようとどんなに努力を重ねても、最後には破ることのできない壁、質問を続ける気が損なわれてしまう最終回答に突き当たった。
宗教から得られた最終回答は、「神の御心です。神のみが知るのです。私たちには計り知れません」というものだった。
つまり、人の生まれ出る環境にどうして優劣があるのかや、病気になる人とならない人がいることや、寿命の長さの違いなどは、僕たちには理解できないということだ。死後に起きることや、他でもなくこの家族の下に生まれた訳や、なぜこんな世界なのかとか、神がこの世の不正を許容する理由などは、僕たちには、到底理解できないということなのだ。
そして科学から得られた最終回答は、大体次のものだった。「全ての事象は物理的な説明が可能だが、哲学的な観点から言えば、ほとんどは『偶然の産物』が『それが存在するかどうかは、科学的には証明できない』ということになる」
この記事の最後に…
あなたが本来の自分になれて、自由で、自覚しながら真実の愛・無条件の愛を体験でき、そしてそれによって。さらに幸せになってくれることを願う。
全ての愛をこめて。
Vicent Guillem (ヴィセント・ギリェム)
書籍:魂の法則より引用
※こちらの記事は営利を目的としていません。著者の無条件の愛により許可された複製であり、自分の為、そして拝読してくれた全ての方に無条件の愛が届けばという願いをこめて行っています。