ブライト・スター | がんばるにっき in the US

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アメリカ留学に挑戦!!
NY州の片田舎、極寒の地から世界の大都会NYCに舞台を移して日々発見、日々成長。

最近文学の授業で勉強したJohn Keats という詩人の詩が好きでたまりません。


今まで、詩なんて読んだことなくて、むしろ英語で詩を読むのはだいっきらいでしたショック!


だって、言葉は難しいし、省略されたり語順が変になったりしてて読みづらいし…。


でも今回、授業でKeatsの詩を学んだことで、詩に対する考えが変わりました。


数少ない、短い文の中に色鮮やかな言葉たちが詰まっていて


読めば読むほど世界が広がっていく、そんな芸術なんだ、って思うようになりました。


今日はそんなKeatsさんについて書きたいと思います本


John Keats (ジョン・キーツ)はイギリス出身で、ロマン派の詩人です。


彼にはFanny Brawne (ファニー・ブラウン)という愛する女性がいましたが、キーツは売れない詩人だったのでファニーとの結婚は周りから反対されていました。


のちにひっそりと二人で婚約をしたのですが、その後ジョンは自分が結核だということを知り、またその病状が改善しないのを知りその結婚をあきらめたといわれています。


最後は療養のためイタリアに行きますが、再びファニーと会うことはなく異国の地で25歳という若さで永眠してしまいました。



彼の詩には常に「死」というものが意識されていて、だからこそ、詩の中に出てくる「生きたい」「生きるって素晴らしい」という思いがより鮮明に、強く読者の心を打ちます。


たとえば”Ode on Melancholy” (日本語訳:憂愁のオード)では、Melancholy(憂鬱)さえも味わうべきものだ、とキーツは言っています。


悲しみ、憂鬱さというものは、生きているからこそ感じられる感情であり、いとおしむべきものだ


憂鬱というものは永遠に続くものではないのだから、その感情を味わうべきである


もしもあまりに辛かったら、美しいものを見て心を癒せばいい


人生が嬉しいのは、同時に悲しいことがあるからだ



どうですか、これ!しょぼんしょぼん


もう、目からうろこでした目


悲しい、辛い、と思うのも生きているからこそ。その感情さえも楽しみ、愛しく思えたら、それはすごく素敵なことですよね。


死と隣り合わせで生きていたキーツが紡ぐこの言葉一つ一つが心に響きました。



もうひとつ、私の好きな詩は ”Bright Star" (日本語訳:ブライトスター)です。


これは最近映画にもなったそうで、授業でもこの映画を見ました。


ブライト・スター ~いちばん美しい恋の詩~



がんばるにっき in the US-Bright Star


夜空に輝く星は永遠にそこにあるけれど、星はひとりぼっちである


私は、愛する人がそばにいないなら永遠の命なんていらない


愛する人の胸を枕にして、その上下する胸を間近に感じながら永遠に生きたい


それができないなら、今、こうしているうちに死んでしまいたい



という感じの詩なのですが…


切ない・・・しょぼん


なんて美しくて、綺麗な詩なんだろう、って、初めて思いました。




彼はよく「永遠」という概念を詩で使っています。


たとえばナイチンゲールという鳥が永遠の命を持っていたり。


ナイチンゲールはもちろん死にます。でも、なぜキーツが彼らを「永遠の命」と言ったかというと


今も昔も変わらない美しい声で鳴いているからです。


私たちの時代も、キーツの時代も、もっと前の時代も、変わらず人々はナイチンゲールの鳴き声(日本で言ったらウグイス?)を美しいと思ってきました。


だから、彼らは「永遠の命」を持っているのです。


キーツは自分がもう長くないと知っていたからこそ、「永遠」ということにあこがれがあったのかもしれません。


でも、キーツが亡くなって190年ほど。今も人々は彼の詩を愛し続け、感動し続けています。


そういう意味ではキーツ自身も永遠に生き続けているんだな~。