闘病ふりかえり⑧~「緩和ケア病棟へ」 | manamamaのブログ~膵臓ガンの旦那さんの闘病記

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末期の膵臓ガンになった旦那さんの闘病記

2018年6月13日。

 

緩和ケア病棟に移りました。

 

明るくて広くて快適な個室。

 

至れり尽くせりの看護師さんたち。

 

一般病棟に比べ、とても穏やかな気持ちで過ごすことが出来ました。

 

「死を迎えるまで過ごす場所」と解っているとはいえ、ここにきて良かった と思える空間でした。

 

毎日、本当に多くの方がお見舞いに来てくださいました。

 

会社の方たちは、2・3日に一度くらいのペースで顔を見に来てくれる方もいて、

 

主人も私達家族も、それがどんなに励みになっていたかわかりません。

 

主人は、こんなにも人望があったのか、こんなにもたくさんの方に愛されていたのかと知りました。

 

きっと、こんな病気にならなければ知ることはなかったでしょう。

 

もちろん本人も。

 

 

 

主人は、親友に、病気の事を打ち明けていませんでした。

 

学生時代から仲の良かった友達にも一切言いませんでした。

 

最初のうちは、いつか挽回して元気な姿を見せられるようになったら連絡しようと思っていたようです。

 

結局、挽回など叶わずこのまま・・・ というところまで来てしまいました。

 

「ほんとに友達に連絡しなくていいの?」 何度も確認しましたが、

 

「死んだら知らせて」 と言うだけでした。

 

自分の変わり果てた姿を見られるのも、心配かけるのも嫌だった様です。

 

でも、亡くなる1週間前、私は主人の携帯のアドレス帳を盗み見て、親友に電話しました。

 

泣きながら電話したので、その親友は事故か何かで既に死んでしまったと思ったようでした。

 

事情を説明したら、すぐに病院に来てくれました。

 

主人に 「勝手に電話してゴメン」 と言ったら 苦笑いしてました.。

 

親友は、正直痩せすぎた主人にびっくりしてましたが、すぐにいつも通りに戻り、

 

主人もかすれてほとんど出なかった声が、聞き取れるくらい大きな声になってました。

 

親友と、他愛もない話をしたり、昔のこと思い出して笑ったり、久しぶりに主人に本当の笑顔が戻った気がしました。

 

やっぱり連絡してよかった・・・!!

 

この日から、亡くなる日まで、ほとんど毎日のように通ってくれた親友。

 

知らせてから1週間後に、主人は亡くなりました。

 

最後の最後に会えたこと。

 

2人にとって、忘れられない時間になったと思います。

 

この決断だけは間違っていなかったと思いました。

 

知らせたけれど、鎮静をかけて意識がなくなってからしか来られなかった友達は、

 

何とも言えず残念そうな顔をして、眠っている主人に話しかけ、手を握ってお別れをしてくれました。

 

 

7月15日。ミタゾラムが増量され、意識が低下。

 

もう話すことは出来なくなりました。

 

肩でただただ息を続けている。

 

命の灯がだんだん消えようとしているのを見ているしかありませんでした。

 

主人がこの世から居なくなる。。。

 

解っているけれど、どうしても気持ちのほうはついていけなくて、

 

半分、他人事のように見ていた記憶があります。

 

 

「よく頑張ったね。」

 

「もう吐き気もないし、腹水でパンパンになったお腹も苦しくないよね・・・」

 

穏やかな顔で眠っている主人の顔をみて、悲しいけれど、ほっとしていた気もします。

 

腹水、抜いてあげたかったよ。。。鼻のチューブも抜いてあげたかったよ。

 

最後に三ツ矢サイダー飲ませてあげたかったよ、ガリガリ君もあと1本だけ。。。

 

 

7月17日。とうとう尿も出なくなりました。

 

夕方ごろから身体が冷たくなりはじめ、何となく身体から臭いがしてきた気がしました。

 

いつも温かかった手も、冷たくなり始めました。

 

いくら温めようとしても、温かくなることはありませんでした。

 

いつも握ってくれた白くて大きな手。

 

離さないと約束したのに。

 

ところどころ紫斑はありましたが、手も足も顔も、最後まで真っ白で本当に綺麗でした。

 

 

午前0時前、最後まで頑張って顎で息をしていましたが、

 

最後に息を吸ったあと、次の息がなくなりました。

 

2018年7月18日 0時3分

 

命の灯が消えました。

 

家族全員で見送ることができました・・・

 

主人はきっと、一番幸せな時に命を終えたのだと思います。

 

自分を愛してくれている人がたくさんいる という事を 

 

十分に十分に感じて、旅立つことが出来たと思います

 

 

覚悟していたつもりの「死」でしたが、

 

線香花火の火が消えるようにほんとうにあっけないものでした。

 

「人の命の儚さ」 を 初めて見た瞬間でした。

 

 

つづく・・・