今週は、春の陽気から、またぐっと寒くなって、雨もよく降るし、

洗濯物が乾かなくて困っています。

 

最近のぴょん太ですが、

なんと、Uberさんを始めました(@_@;)

 

学校に『卒業式までもう来ません。』と宣言してきたものの、

免許合宿から帰ってきて、さすがに時間を持て余してきたようで、

「バイトしようかなー」とか言い出しました。

 

頭の中は、どのバイクを買おうかということで一杯で、バイク屋さん巡りをよくしているのですが、

ある日、

「レッドバロンの店長にスカウトされた☆

軽トラ運転できる人に来てほしいねんて。」

と、言いながら帰ってきました。

と言ってもぴょん太は卒業まで運転できないし・・・

 

で、「Uberしようかなー・・・」と言い始めたのですが、

その翌日、偶然にも、知り合いの人が、Uberバックを譲ってくれることになったとのこと(*_*)

 

早速、バッグをいただいたその日に登録をし、次の日から動き始めました・・・

 

準備万端に、スマホを自転車にセットし、ヘルメットを被って、Uberバッグを背負って、さあ出発!!!

・・・

張り切って出かけようとしたのですが・・・

あかんあかん・・・バッグが90度傾いてる・・・^^;

商品が大変なことになるよ・・・

ロードバイクで、背中に担いでは無理やわ・・・(・・;)

 

それで、ママチャリのような速度にはなりますが、マウンテンバイクでサドルを調節し、気を取り直して、出かけて行きました。

 

けれども、初日は、近所のショッピングセンターで、3時間くらい待機していたものの、一度もコールが鳴らず、ちょっと凹んで帰ってきました・・・(T_T)

 

まあまあ・・・初めてやしね、平日やしね、そんなもんでしょ・・・

 

次の日は、ちょっと不安げで、もうやめとこかなーーーって感じだったのですが、

朝ごはん食べてる途中に、最寄りのマックからコールが(@_@;)

 

どうする?どうする?・・・

なかなかコール音が消えないので・・・受けてみよう!!!ぽち。

 

急いで出かけて行きました^^;

 

それからは、毎日ではないのですが、結構な頻度で働いています。

(その後、ロードバイクの後ろにキャリアを取り付けて運ぶようになりました。)

 

ぴょん太曰く、Uber頼むお宅は、やはり、エレベーターのないマンションの

最上階の家が多いそうです(・・;)

 

なるほど、そうだろうねーーー

でも、ぴょん太、それを一日に何件もこなしてるの?(@_@;)

大丈夫なん???

・・・・・・・・・大丈夫だそうです(@_@;)

 

今のところ、クラッシュは起こってないのです・・・(@_@;)

 

やはり、これは、成功体験の積み重ねになるからではないかと感じています。

頼まれたことを一つ一つこなすことで、ありがとうと言われ、報酬も得られる・・・

その達成感が、ぴょん太の脳を元気にしてくれているのではないかと思うのです。

 

昨日は、遅い朝ごはんを食べてから出かけて、帰ってきたのは、夜の9時でした。

昨日は、淀川を越えて、大阪市内で動いていたそうです(@_@;)

やっぱり淀川を越えた途端、コールがどんどん入るそうです。

 

もうほんま気をつけてねーーー(T_T)(T_T)(T_T)

 

昨日の稼ぎは、なんと、1万4千円だったとか(@_@;)

 

バイクを手に入れるため・・・

好きなことのためには、こんなにもパワーが発揮されるのですね(@_@;)

 

ぴょん太がリハビリのために始めたロードバイク・・・

また、自転車での一人旅が・・・・こんな風に役に立つ日がくるとは、夢にも思いませんでした。

 

あなたのお家にも、いつかUberぴょんがお届けするかもしれません☆

 

 

 

 

『・・・

 私は、私たちが学力と称しているものが、実はロボットやコンピューター脳の機能であって、真の学力やこころとはかけ離れていることを述べてきた。

 このような、人としてのこころに欠ける学校社会のなかでは、しばらくの間、子どもたちは自分の顔に仮面をつけたまま生きていかざるを得ない。・・・

・・・

 いっぽう、最近の流れから、子どもたちが

「おかしいものはおかしい、嫌なものは嫌」といえる下地がつくられつつあると感じている。・・・

 思春期のよい子の変身は我慢に我慢を重ねた末のことでもあり、良い子から180度転換した非行へ向かうことも珍しくないが、

現代の子どもたちはもっと早い時期に素直に仮面を脱ぎ捨てつつある。・・・

・・・最近の子供達は、自分を育ててはくれない学校社会から、抵抗なく抜け出そうとしている。

 「行きたくないから行かない」のである。・・・

・・・

 

 仮面をかぶった子どもたちが集まる学校で、将来の自分の夢をつくることができるであろうか。

 こどもたちは、自分の素顔で生き、本当の自分を見つめ、本当に没頭できる好きなことを確認して人生の方向性を探る生き方を懸命に模索している。

 このことに気がついた子どもたちは、それぞれ仮面を脱ぎ捨て始めるに違いない。

・・・

 

 これからの子どもたちは、大人やまわりにじゃまされず、自らの感性と価値観で行動することを学ぶと考えられる。

 

 感性や価値観は、自らを抑えたり、仮面をかぶった生き方では得られないことも学ぶであろう。

 いいかえれば、子どもたちの選択した生き方を大人たちが認めざるを得なくなってくるといえるかもしれない。

 いずれにしても、これからの子どもたちは自分で自分らしく生きていく力を示しはじめているのではないかと期待している。』

 

(三池輝久著『「学校が」生きる力を奪う』あとがき より)