昨日、とてもショックなことがあり、
心がざわざわして、書かずにはいられないので、パソコンを開いています。
昨日、ぴょん太がお世話になっていた、発達外来の先生が亡くなられたのだと、
そのクリニックの地域に住んでいる友人から聞きました。
先生は、先月、おそらくまだ50代で、急な体調不良で亡くなられたとのことでした。
ぴょん太のCCFSは概ね治っていると言える・・・と診断いただき、
ぴょん太自身がカウンセリングの必要性を感じなくなったことから、
去年の3月を最後に、通院はしていませんでした。
(現在、ぴょん太の定期的な通院は漢方クリニックだけになっています。)
本当にショックで・・・
先生にご指導いただいたこと、
診察していただく時の、先生のお姿、笑顔、仕草、お声・・・
まだまだ覚えておりますので、
本当に信じられなくて、ショックで、
もう一度、先生にしっかり御礼を伝えたかったと、後悔の念が沸き起こりました(T_T)
このブログを読んでくださっていた方はご存知と思いますが、
脳神経外科で、ぴょん太の脳に萎縮が見られるものの判断しかねるので、どこか小児科に行ってくださいと言われ、
私がどん底の気持ちでいるときに、
お忙しい中、私達を受け入れてくださり、大丈夫ですよと、大きな安心感をくださったのは、
安藤先生でした。
また、小児慢性疲労症候群(CCFS)について、熟知されている先生で、
この先生がぴょん太に対して、どのように対応していけば良いのかを的確にアドバイスしてくださったことで、ぴょん太の状態は劇的に良くなっていきました。
先日も書きましたが
『無理せんとこな・・・を合言葉に・・・』
『出力は80%を心がけて・・・』
『失敗する危険性が少しでもあることはさせない!
必ずできると思われることだけに取り組ませる・・・』
ということも、初診の時に安藤先生からいただいたアドバイスです。
また、低血糖の問題・・・血糖値を安定させることの重要性に改めて気づかせてくださったのも
安藤先生でした。
ぴょん太にメラトベルを処方してくださったのも安藤先生でした。
安藤先生は、
「僕は正直、寝たきりになるまで重症になるCCFSの子供を診た経験はあまりないんです・・・
それまでに大体良くなっていくんで・・・」
と言われていました。
初めから安藤先生にぴょん太を診ていただけていたなら・・・と何度も思いました。
このような、優秀な貴重な先生が、なぜこんなにも早くに逝かなければならなかったのでしょう・・・
本当にショックで、悲しくて、悔しくて・・・言葉になりません・・・
先生は、ぴょん太が大人になっても、いつでも診てあげるよと言ってくださっていました。
私は、大きな心の支えを一つ失ってしまいました・・・
私は、OD医について批判しているので、
あんどう先生にご迷惑をおかけするのが憚られて、これまで、先生のお名前を出していませんでした。
けれども、昨日、久しぶりに、クリニックのホームページを拝見して、
先生の最後のブログを読ませていただき、衝撃を受けました。
安藤先生が、どれだけ今の日本の医学界、教育界の闇と向き合い、闘っておられたのかを伺わせられる・・・
まるで遺書のようなブログでした。
わたしは、じっとしていられなくて・・・
先生の功績とご意志を多くの方々に知っていただきたくて、
ここでリンク、コピーさせていただきたいと思いました。
『・・・
公立の学校が子供達の事を真摯に考え障害を持っても個性を生かし対応してくれる事を願って努力してきましたがそれは無理なのだと思い知らされる事が続き諦めました。
そこで西宮北部にこども達の個性や特性を生かして対応出来る私立学校を設立する事が私の役割だと決意しました。西宮北部であれば宝塚や三田のこどもさん達も通えます。
すでにその準備は進めています。賛同してくれる仲間もいます。何度言っても学校の対応が変わらないならばこどもさんの個性や特性を受け入れて一人一人に合わせたカリキュラムを創れ得意を生かした学校生活をできるところが必要です。
学校設立に向けての手続きは進めていますが、通ってくれるこどもさん、そこに通わせたいと思ってくれる保護者がいないと絵に描いた餅になります。幸い賛同してくれるスタッフはすでにいますので実現するにはどれだけ市民、保護者の賛同が得られるかにかかっています。
公立学校に通わせたくないと思う保護者は勿論、そういう事情はないけれどもこども達のよりよい将来を考える方、そうゆう事を応援したいと思っていただける方、応援してやろうじゃないかという企業大歓迎です。
こども達は私たちの将来を担ってくれる宝です。こども達が健やかに成長できないところに将来はありません。
出来ないことを無理強いしたり、出来なければ罰を与えたりクラスのみんなの前で恥をかかせたりする教育をなんとしても止めたいと努力してきましたが診断書を書いてどんなに止めようとしても教育委員会は地位にあぐらをかいて改めません。
ならば私立学校を創り教育委員会の縛りから独立した学校を創るしかありません。これがいかに大変なことか私は身に染みて解っています。それでもこの決断をしたこと、これが私の人生で最後の仕事と覚悟を決めてお願いをしています。私の命を懸けてのお願いです。どうか多くの方に賛同していただき何としても実現したい。実現できなかったときにはお詫びとして医師をすっぱり辞めクリニックを閉院する覚悟です。私の駄目なところと自覚していますが妥協が出来ない人間です。苦しんでいるこども達に何も出来ないくらいなら医師を辞めます。
ぴょん太の診察をしてくださる時でさえ、先生はどんな苦悩を抱えていらっしゃったのだろう・・・
と・・・
助けていただいてばかりで、何のお返しもできないままで・・・
私の力は、あまりに小さいけれど、
安藤先生が志されたことを心に刻み、
苦しんでいる子どもたちのために
私に何ができるだろう・・・と日々考え、行っていきたいです。
今、こんな私にできるのは、やはり、ブログを書き続けることなのかな・・・
と感じています。
日本のすべての子供達にとって、学校が幸せな場所となりますように。
子どもたちが無理して学校に合わせる必要がなくなり、
一人ひとりの子どもたちにとって、本当に幸せを感じられる、教育環境、システムが一刻も早く完成されますようにと心より願っています。
安藤先生が、これからも天国からきっと
苦しんでいる子どもたちのために、力を貸してくださるはずだと信じています。
安藤先生、本当にありがとうございました。
心から心から感謝し、心からご冥福をお祈り致します。