今日もぴょん太、お昼頃起きました。

今日は、主人が年に何回かの夜勤明けで、昼からクーラーの修理の人が来ることになっていたので、主人にぴょん太と出かけてくれるようにお願いしました。

それで、王将でご飯を食べて、その後、学校の課題をして過ごしたようです。

16時頃帰宅。

ぴょん太は、それから、学校に向かいました。

 

今日は、睡眠時間が短かったからか、頭を使って疲れたからか、外にいる時間が長くて疲れたからかわからないのですが、ぴょん太22時過ぎに寝ました。

このまま、時間が戻ってくれますように☆

 

 

 

今日は、『祈り』について書きたいと思います。

 

私は高校3年生、17歳の時に初めて教会のお話を聞きました。

その時聞いたお話の中で、とても嬉しかったことは、

神様は、本当に今も生きていらっしゃって、いつも私達を愛し、見守り、私達の心の内もご存知で、私達が話しかけることを心待ちにしておられるということでした。

なので、『祈り』は、いつでもどこでもできるということでした。

 

私は、それまで、なんとなく神様の存在は信じていましたが、困ったときの神頼み。

神社やお寺に行ったり、神棚や仏壇の前に行かないと、神様に思いは届かないと思っていました^^;

 

なので、自分の部屋にいても、ベッドで横になってても、お風呂に入ってる時でも、電車に乗っているときでも、いつでも自分の気持ちを神様に言っていいんだ、そして、ちゃんと聞いてくれているんだと教えてもらえたときには、本当に、感激しました。

 

モルモン書の中に、このような聖句があります。

 

『 まことに、神に憐れみを叫び求めなさい。

  なぜなら、神は人を救う力を備えておられるからである。

  まことに、へりくだって、神に祈り続けなさい。

  牧場にいるときには、まことに、すべての家畜の群れについて神に叫び求めなさい。

  家にいるときには、まことに、あなたがたの家のすべての者について、朝も昼も晩も神に叫び求めなさい。

  まことに、敵の力を防ぐことができるように、神に叫び求めなさい。

  まことに、あらゆる義の敵である悪魔を防ぐことができるように、神に叫び求めなさい。

  あなたがたの畑の収穫が豊かであるように、作物について神に叫び求めなさい。

  あなたがたの牧場の家畜が増えるように、家畜の群れについて叫び求めなさい。

  しかし、これだけではない。

  あなたがたは自分の部屋でも、人目に触れない場所でも、荒れ野でも、あなたがたの心を注ぎ出さなければならない。

  また、声に出して主に叫び求めないときでも、あなたがたの幸いと、あなたがたの周りの人々の幸いを気遣う気持ちを心に満たし、それが絶えず主への祈りになるようにしなさい。』

(アルマ書34章18-27節)

 

 

・・・このように、いつでもどこでも、声に出しても、心の中でも、どんなことについてもお祈りして良いのです。

 

 

また、神様は、いつでも、私達の思い、祈りを聞いておられますが、

ちゃんとお祈りしたいときには、方法があります。

それはとてもシンプルな方法です。

 

 

まず、静かな場所でひざまずき、手を組み、目を瞑ります。

そして、

 

1.父なる天の神様を呼び求める。

2.感謝していることを伝える。

3.お願いしたいことや、自分の気持ちを伝える。

4.『イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。』という言葉で終える。

 

・・・という、方法です。

 

 

私は、神様を信じ、いつも祈るという習慣がついてから、本当に気持ちが楽になりましたし、幸せになりました。

(もちろん、試練は次々とやってきますが^^;)

 

神様は、本当に今も実在し、生きていらっしゃいます。

 

私達は、神様の子供です。

計り知れない愛情で愛されているのです。

決して、見放されることはありません。

 

もし、苦しい気持ち、悲しい気持ちで心が張り裂けそうな時、

是非、神様を思い出して、祈ってみていただけたらな・・・と思います。