飛騨にいると彼から連絡が入った。
飛騨まで夜通しで嵐の中、向かった。
飛騨のある畑に着いた。もう朝日が差していた。
彼ののおじいちゃんが運転する軽トラが畑の真ん中にあって、トラックの二台に座っていた人が立ち上がって僕を呼んでいた。
近づくと、彼と彼の祖父と思われる方が車の中にいて、笑顔でこちらを向いていた。
車の真ん中に乗せられた。
左には彼、右には彼の祖父。
彼とと握手した。
「久しぶり」と満面の笑顔で言われた。僕も笑顔で返した。
車内でしばらく黙っていたら、彼が下を向きながら、照れ臭そうに、「就職先は、〜新聞社」と教えてくれた。
会社名に彼の苗字が入っていたので、「自分の会社かい?」と聞いたら、照れ臭そうに、自分の親戚が経営しているのだと教えてくれた。
自分の就職先の会社名を、噛みしめるように、嬉しそうに照れながら教えてくれた。
右の彼の祖父が、「経営者になるならば、まずは誰かの下でちゃんと働くっていう経験を積んだ方がいいって言ったんだ」とおっしゃった。
彼は自分の就職する会社に対して、心から納得がいっていて、満足をしているみたいだった。
僕も就職先を伝えた。
お互いがんばろうと言い合った。
それから先は、なんか、号泣しながら伝えてた。
「僕は今の君みたいな優しい顔を、共に働いている間、見たことがなかった。
僕が知ってる君はとても頭が良くて、でもすごく冷たくて、怖かった。
僕は今君のその顔が見れて嬉しい。
もっと早く見たかった。
今の君のその優しい笑顔は、きっと人を惹きつける。
足りなかったのは、きっとそれ。自然についていきたくなるもの。
あの頃は、本来は君がリーダーだった。けれど、お客様は僕についてきた。
だから揉めた。仲良くやりたかった。
お互い良かったよね。
お互い大学辞めちゃったけど、ちゃんと就職できて良かったよね。
世のため、人のために頑張ろうね」
って言って車を降りた。
帰り道、とても綺麗な朝日が照らす道でひたすら嬉し泣きをしながら歩いてた。
こんなに泣いたのは、浪人時代に年末の第一志望からの通知(被災者に対する免除制度の対象から外れたことを知らせる紙)が家に届いた時、家を飛び出して喫茶店で号泣していた時以来だなって思った。
長い間ご愛読ありがとうございました。
本ブログはこれにて終了致します。
またどこかでお会いできたらと思います。