いつか、そして、どこで、というのは忘れたのですが、ある印象に残っているあるお話しがあります。
それは、ある大学教授が学生に向けて「時間」というものについて授業で話したことです。
その教授は、透明な瓶を学生たちの目の前に出し、その中に大きな石を数個先に入れ、そのあとに砂を入れて、その瓶を満杯にしたらしいです。
そしてその一部始終を学生たちに見せ終えた後、「さて、私が今やったことは何を示しているのか、わかった人はいるかな?」という質問をしました。
色々な回答が学生たちから出た後、教授は言いました。
「この瓶は君たちの人生を示しているんだ。
君たちの人生は有限である。
早くこの「石」に当たるようなものを入れないと、細かいどうでもいい砂で一杯になってしまうんだ。」
という様な内容でした。
これって、「自分にとってずっと大切にしている本」というものにも、当てはまる気がします。
僕は読んだ本はほとんど友人などにあげてしまうのですが、本棚には友人にあげないままでずっと残っている本たちがあります。(それ以外に本棚に残っているのは、まだ読んでいない本たちです。)
それらは、僕にとってとても大切な本たちですが、僕はそれらを人生の早い段階(大人になる前の、感受性豊かな10代の頃)に読んだから、僕にとってとても強い印象として胸に刻まれ、友人にあげることなどをしていないのだと思います。
それが、上記の教授のお話しの「石」が「忘れられない本」になる人もいれば、「スポーツ」になったりする人もいるでしょう。
感受性が豊かなうちに、自分の人生という「瓶」の中身を、「石」のようなもので多くのすることができる人生がいいですよね。