「……はい、今日の提出物はここに出して。忘れてる人、自己責任で」


26歳の佐藤はるかは、生徒たちの前でそう言い放つ。声は淡々としていて、表情も崩さない。生徒たちは「はーい」と返事をしながらも、彼女にはどこか一目置いている。


必要なことだけを的確に話す。それが、はるかのスタイルだった。


そしてそのスタイルは、恋愛でも変わらなかった。


「佐藤先生、今日も刺さるね、その言い方」


チャイムが鳴る直前、教室のドアをノックもせずに入ってきたのは、同じ学校に勤める教師、渡辺慎一だった。


「慎一、チャイム鳴る」


「そこか。『おつかれ』の一言もなし?」


「言う必要ある?」


「……ないかもね」


軽く肩をすくめながら笑う慎一。はるかのそっけない態度にもめげる様子はない。それもそのはず。二人は大学の教育学部で出会い、交際8年目になる。


慎一のほうは相変わらず気さくで、人あたりもよく、生徒からも同僚からも好かれている。対照的に、はるかは冷静沈着で、どこか一線を引いているタイプ。


タイプの違う二人は磁石のように、お互いをひきつける。


帰り際、慎一が「ちょっと来て」とはるかを校舎裏に連れ出した。


「……なに、もう帰るんだけど」


「まあまあ。ちょっとだけ」


慎一はポケットから小さな箱を取り出した。


「それって」


「そう。ついに」


「ベタすぎ。ドラマ?」


「ベタに勝るものはない、ってはるかが前に言ってた」


「言ってない」


「言ってた」


言い合いのような空気の中で、慎一は小さな箱を開けた。中にはシンプルな指輪。


「付き合い始めたころ、俺たち結婚とか想像してなかったよな。お互い教員採用試験に必死で、余裕なくてさ。でも、なんだかんだで8年。もう、充分かなって思って」


はるかは黙ったまま空を見上げた。


「教師ってさ、毎日バタバタして、仕事と家庭の両立とか簡単じゃない。でも、俺は——」


「……慎一」


「ん?」


「しゃべりすぎ。うるさい」


慎一が驚いたように目を見開く。だが、次の瞬間、はるかはぽつりと続けた。


「受け取る。ありがと」


箱をそっと取り、まだ指輪には触れず、はるかは小さく息をついた。


「感動してないし、泣きそうとかでもないし」


「わかってる」


「でも、まあ……となりにいてもいいかなって思ってる」


その言葉に、慎一はようやく笑みをこぼした。


「おかえりって、言っていい?」


「……好きにすれば」


照れ隠しのように言って、はるかは彼の隣に腰を下ろした。


ほんのりと赤く染まり始めた夕空の下、ふたりはそれ以上何も言わずに、ただ静かに座っていた。だけどその距離は、どんな言葉よりも確かな想いを物語っていた。