「ねぇ、また学年便り、出すの忘れてたでしょ」
「……え?なんで知ってんの?」
「一緒に学年組んでる先生のお子さんが、拓の学校の2年生なんだよ。嘆いてたよ。『○○小の2年は、ちゃんと月初めに配ってるのに』って」
春川陽菜は、電話越しにため息をついた。
「もしかして、また夜中に一人で作ってる?」
「いや、最近は後輩と分担してる」
「とか言って丸投げしてるんでしょ?」
「バレたか…」
藤沢拓は笑った。彼と陽菜は教育大学の同期で、卒業して5年目。別々の小学校に勤めながら、なぜか定期的にケンカして、仲直りして、気づけば毎月どちらかが深夜に電話をかけていた。
「さ、切るよ。明日も早いから」
「うん、はいはい。どうせ寝れなくてYouTube漁るくせに」
「……お前、なんで俺の生活、そんなに把握してんの」
「だって、拓って予定と違う行動しかしないじゃん」
「余計なお世話です」
———
陽菜がその日、電話をかけたのは午後11時過ぎだった。
「聞いて。今日、子どもが“先生って、ずっと先生なの?”って聞いてきてさ」
「……お、深いな」
「ね。私、ちょっと考えちゃったよ」
「なんて答えたの?」
「“先生だって、迷いながら生きてるよ”って」
「正直だな」
間があった。
「ねぇ拓、私たち、なんで教師になったんだっけ?」
「陽菜は“子どもに関わる仕事がしたい”って言ってた」
「拓は?」
「俺は……陽菜が教師になるって言ったから」
「は?」
「……いや、なんでもない。忘れて」
———
その数日後、陽菜がインフルエンザにかかった。
「え、マジ?大丈夫?」
「39.2度。もう無理」
「すぐ寝なよ。水分取って」
「優しいじゃん」
「うるさい。そういうとこだよ」
拓は、陽菜の声がどこか頼りなくなるのが怖かった。電話を切った後、ふと思った。これまでの人生で、誰かの体調が悪いことに、ここまで胸がザワザワしたことがあっただろうか。
———
三月の終わり、学年末の怒涛の忙しさをかいくぐって、久々に通話が繋がった。
「おつかれ」
「おつかれ」
互いに声がかすれていた。
「陽菜さ」
「ん?」
「もう、そろそろ……電話する理由、なくない?」
「……え、なに?」
「いや、だから、俺たち、いつまで“同期”でいるつもりなんだろうって」
「……ああ」
「もしかして、さ」
「うん」
「好きなんだと思う。俺は」
「……知ってた」
「え?」
「私も」
電話越しに、春の風の音が聞こえた気がした。
それは、窓の外で揺れているカーテンが知らせた、小さな始まりの予感だった。
———
数日後。ふたりは公園のベンチに座っていた。
「なんかさ、こういうの、照れるね」
「電話の方が、まだ素直に話せた気がする」
「……じゃあ、また夜、電話しようか」
「うん。今度は、彼氏として、ね」
拓が笑った。
陽菜も、つられて笑った。
ふたりの間にあった長年の“距離”が、音もなく溶けていく気がした。
その日、ふたりの通話履歴の名前は、ようやく名字から「陽菜」「拓」に変わった。