2025年5月12日(月)
大人のサークル活動【テニス】
週末の午後、テニスコートには軽快な打球音が響いていた。
春の風がほのかに甘く、サークル仲間の笑い声が芝生の向こうまで届く。
「ナイスショット!」
礼儀正しい声とともに、ボールが真っ直ぐに飛んできた。
咄嗟にラケットを出すと、ポン、と軽く返球できた。
「やった、ラリー続いた!」
嬉しそうに笑うその人は、銀行に勤めているという西岡くんだった。
名前を覚えたのは、たしか2回目の練習のとき。
「木曜日だけど、今日はお休みですか?」
彼がそんなふうに聞いてきたのは初対面の日だった。
「はい、教師なので祝日はお休みなんです」
そう答えると、彼は少し驚いたように目を丸くした。
「先生なんですね。じゃあ、生徒たちに人気ありそう」
「いやいや、毎日戦いです」
「銀行もけっこう戦場ですよ」
そんなやりとりが、はじまりだった。
週末のたびに、ボールを打ち合い、練習の後にみんなでごはんを食べて、話す時間が自然と増えていった。
彼は控えめだけど誠実で、打つボールのように、ストレートな言葉を投げてくれる人だった。
ある日の帰り道、ふいに彼が言った。
「先生って、夏休みとかもけっこう長いんですか?」
「そうですね、比較的。課題の山はありますけど」
「そっか……じゃあ、どこか行けたらいいなと思って」
彼の声がいつもより少しだけ低くなっていて、私はすぐには意味を理解できなかった。
「一緒に、ってことですか?」
「はい。突然ですけど……好きです。付き合ってもらえませんか」
夕焼けが彼の頬を赤く染めていた。
それが照れか、夕日か、判断できないまま、私はただうなずいていた。
交際、その後
付き合いはじめると、意外なほど毎日は忙しかった。
彼は銀行の窓口から営業に異動になり、私は学年主任を任された。
それでも、月に2回のテニスサークルは、ふたりにとっての「中間地点」だった。
職場でも家庭でもない、だけど確かに「ふたりの場所」。
夏休みには、彼が提案してくれた長野への旅行にも行った。
高原の空気と、昼間のワインと、夜の温泉。
いつか、こんな場所に家が建てられたら——そんな話をしたのもこの旅だった。
秋、彼が突然仕事で異動になった。
県境を越えた営業所。平日はまったく会えない距離だった。
「会えない日が増えるけど、ちゃんと続けたい」
「うん、私も」
言葉で交わしたものの、不安は少しずつ大きくなった。
電話の時間が短くなり、LINEも「既読」のまま止まることが増えた。
冬のある日、彼が突然職場の近くまで来ていた。
校門の前で、寒そうにマフラーを巻いて立っていた。
「なにしてるの?連絡くれたらよかったのに」
「言ったら、気をつかうと思って」
「なんでそんなこと思うの?」
「……距離とか、時間とか、いろいろ、負担かけてると思ったから」
私はその言葉に、なぜだか涙が出た。
自分だけが頑張ってるわけじゃない。彼もきっと、同じ気持ちでいた。
その日、彼は帰り際にこう言った。
「年明けに、家に来てくれないかな。両親に、紹介したい人がいるって話したんだ」
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春。再び、桜が咲くころ。
私たちは婚姻届を役所に提出した。
「おめでとうございます」
役所の窓口で言われて、少しずつ実感がわいてきた。
西岡千紗。
教師としての名前はそのまま使ってもいいけれど、ふたりの暮らしにはひとつの名前がいいと思った。
いまも週末には、ときどきテニスサークルに顔を出す。
ボールを打ち合いながら、少しずつ、またラリーのリズムをつかんでいく。
——夫婦も、きっと、ラリーみたいなものだ。
力を抜いて、続けること。相手を見て、返すこと。
うまくいかない日もあるけど、それでもまた打ち返せば、続いていく。
次のサーブは、私の番だ。
