2025年5月11日(日)


『水曜の午後、オペラハウスで』


その日、シドニーの空はよく晴れていた。冬なのに陽射しがやわらかくて、まるで春先の東京みたいだった。私の記憶にあるシドニーは、いつも湿気を含んだ青い風の中で、葉の香りがどこかから漂っていた。


 でも、今はもう東京に戻ってきていて、それも、ずいぶんと前の話だ。


 最初に彼に会ったのは、大学三年の春だった。語学研修のホームステイで滞在していた家の息子、アンドリュー。年齢は私より二つ上。農学部に通っていて、口数は少なかった。初対面の印象は「無口なひと」で、それは私にとって最初の警戒だった。


 けれど、夜になると、彼は不意に詩を読むような調子で、静かに話し始める。


「空が広すぎて怖くなることがあるんだ」と、ある晩、庭で彼がつぶやいた。


 私はうなずくだけだったが、たぶんその時、私は彼の中にある静かな火種を見つけたのだと思う。


 帰国してからの一年は、彼と連絡を取り続けるだけで精一杯だった。手紙、Skype、Messenger。時差と距離に翻弄される、いかにも若い恋。けれど、大学を卒業するとき、私は決めていた。


 私は教師になる。そして、もう一度オーストラリアに行く。


 ただし、英語教師ではなく、日本語教師として。


 その方が、彼に会える確率が高いと思ったから。


 正直なところ、日本語教育に対して特別な情熱があったわけじゃない。けれど、道を選ぶ理由なんて、それで充分だと私は思っていた。


 その後の私は、計画的で無謀だった。養成講座に通い、教育実習をこなし、日本語教師の資格を得た。二年目、ようやくシドニーの語学学校に採用が決まった。教師という肩書きを持って、再び彼の国土を踏んだとき、私は胸の奥に透明な石を抱えているような気持ちだった。


 再会は、思いのほかあっさりしていた。


 「やあ、元気だった?」と、彼は空港に立っていた。私の名を呼び、何も変わらない笑顔で、私のスーツケースを引いた。


 それからの一年、私たちはつかず離れずだった。彼は大学院に進み、私は学校で働きながら、週末に時々彼の家に泊まった。特別な約束を交わさなくても、たしかな感触があった。


 でも、未来の話はなかなかできなかった。言葉にしてしまえば、すべてが変わってしまいそうで。英語で“future”と言うたび、私の中にどこか日本語が冷たく沈んでいくのを感じた。


 そんなある日、私は一時帰国のため、シドニーを発つことになった。数ヶ月の滞在だったが、彼はなぜか最後まで見送りに来なかった。


 私は少しだけ失望して、東京に戻った。


 そして──半年後のとある水曜日。久しぶりにシドニーを訪れたその日、彼はオペラハウスの白い帆の前に立っていた。


「アヤコ」と、彼ははっきりと呼んだ。「僕と結婚してくれないか」


 彼の手には、まるで映画のワンシーンのように、小さな箱が握られていた。青い湾と、遠くに橋を望むその場所で、風が私たちの影を水辺に長く伸ばしていた。


 返事はもう、決まっていた。


 そうして私は、再びあの空の広い国に帰ることになった。今度は、姓を変えて。


 あの時、彼が言っていた。「空が広すぎて怖くなることがあるんだ」


 今なら、少しだけその意味がわかる。何かを選ぶとき、人は必ず少し怖くなる。けれど、その怖さこそが、生きているという証拠なのだ。


 水曜の午後。オペラハウスでプロポーズされ、私は未来を選んだ。