春の風がまだ少し冷たい四月の初め、春休み中のこと。
新任の家庭科教師・安西さくらは、職員室で隣の席になった理科教師・藤井蒼(あおい)を見て、思わず口を引き結んだ。
無口で表情が乏しく、昼食はコンビニのチキンサラダとブラックコーヒー。挨拶も会釈程度。
さくらとは正反対だった。
彼女は明るくておしゃべり好き。お弁当は彩り豊かで、同僚と半分こして味の感想を言い合うのが日課だった。
「安西先生、また手作りですか? 本当、すごいですね」
ある日、藤井がぽつりとそう言った。
思わず、さくらは箸を止めて見返した。
「え、藤井先生って、甘いもの嫌いでしたよね?」
「嫌いじゃないですよ。ただ、あまり食べ慣れてないだけで」
シュークリームを頬張る藤井の姿を見て、さくらの胸に小さな芽のようなものがふわっと芽生えた。
*
二人が急接近したのは、夏前の校内研修旅行だった。
班行動の自由時間で偶然ペアになったさくらと藤井は、地元の和菓子屋に立ち寄った。
さくらが選んだのは、季節限定の「桃の練り切り」。一方、藤井は「抹茶ようかん」。
「苦いもの好きですね」と笑うさくらに、藤井は静かに言った。
「子どもの頃、母がよく作ってくれた味なんです。甘いものより、こういうのが落ち着くんですよ」
さくらは一瞬、返す言葉を失った。
甘さや賑やかさの裏に、彼なりの記憶や理由があることを初めて知ったからだった。
「…じゃあ、今度、私がその味に挑戦してみようかな」
「え?」
「ちょっとくらい、苦いのも食べてみたいなって思って」
そう言って微笑んだ彼女の横顔に、藤井は目を細めた。
*
それから、二人の間には小さな変化が積み重なっていった。
放課後のお菓子を半分交換するようになったり、休日に一緒に美術館へ出かけたり。
話すほどに、育ちも趣味も正反対なのに、不思議と居心地は悪くなかった。
ある秋の日、職員室のベランダで、藤井がポケットから小さな包みを取り出した。
「これ、作ってみたんです。あんまり上手くないけど…」
それは、黒豆を炊いた和菓子だった。甘さ控えめで、ほのかに塩気がある。
さくらはひとくち食べて、目を見開いた。
「…おいしい。すごく、落ち着く味」
照れくさそうに藤井が笑ったのを見て、さくらの心はふわっと温かくなった。
「ねえ藤井先生」
「はい?」
「私たち、全然似てないけどさ。なんか、合いますね」
その言葉に、藤井は少し間をおいてから静かにうなずいた。
「正反対だから、かもしれませんね。…お互いにないものを、持ってる」
そして冬、さくらは彼の部屋で初めて、苦いコーヒーを一緒に飲んだ。
ほんの少しだけ、ミルクと砂糖を入れて。
「これくらいなら、いけるかも」
そう言って笑うさくらに、藤井は「ああ」と優しく答えた。
にがくて、あまい。
まるで、二人の関係そのものだった。