春の風がまだ少し冷たい四月の初め、春休み中のこと。

新任の家庭科教師・安西さくらは、職員室で隣の席になった理科教師・藤井蒼(あおい)を見て、思わず口を引き結んだ。


無口で表情が乏しく、昼食はコンビニのチキンサラダとブラックコーヒー。挨拶も会釈程度。

さくらとは正反対だった。


彼女は明るくておしゃべり好き。お弁当は彩り豊かで、同僚と半分こして味の感想を言い合うのが日課だった。


「安西先生、また手作りですか? 本当、すごいですね」


ある日、藤井がぽつりとそう言った。

思わず、さくらは箸を止めて見返した。


「え、藤井先生って、甘いもの嫌いでしたよね?」


「嫌いじゃないですよ。ただ、あまり食べ慣れてないだけで」


シュークリームを頬張る藤井の姿を見て、さくらの胸に小さな芽のようなものがふわっと芽生えた。



二人が急接近したのは、夏前の校内研修旅行だった。


班行動の自由時間で偶然ペアになったさくらと藤井は、地元の和菓子屋に立ち寄った。

さくらが選んだのは、季節限定の「桃の練り切り」。一方、藤井は「抹茶ようかん」。


「苦いもの好きですね」と笑うさくらに、藤井は静かに言った。


「子どもの頃、母がよく作ってくれた味なんです。甘いものより、こういうのが落ち着くんですよ」


さくらは一瞬、返す言葉を失った。

甘さや賑やかさの裏に、彼なりの記憶や理由があることを初めて知ったからだった。


「…じゃあ、今度、私がその味に挑戦してみようかな」


「え?」


「ちょっとくらい、苦いのも食べてみたいなって思って」


そう言って微笑んだ彼女の横顔に、藤井は目を細めた。



それから、二人の間には小さな変化が積み重なっていった。


放課後のお菓子を半分交換するようになったり、休日に一緒に美術館へ出かけたり。

話すほどに、育ちも趣味も正反対なのに、不思議と居心地は悪くなかった。


ある秋の日、職員室のベランダで、藤井がポケットから小さな包みを取り出した。


「これ、作ってみたんです。あんまり上手くないけど…」


それは、黒豆を炊いた和菓子だった。甘さ控えめで、ほのかに塩気がある。

さくらはひとくち食べて、目を見開いた。


「…おいしい。すごく、落ち着く味」


照れくさそうに藤井が笑ったのを見て、さくらの心はふわっと温かくなった。


「ねえ藤井先生」


「はい?」


「私たち、全然似てないけどさ。なんか、合いますね」


その言葉に、藤井は少し間をおいてから静かにうなずいた。


「正反対だから、かもしれませんね。…お互いにないものを、持ってる」


そして冬、さくらは彼の部屋で初めて、苦いコーヒーを一緒に飲んだ。

ほんの少しだけ、ミルクと砂糖を入れて。


「これくらいなら、いけるかも」


そう言って笑うさくらに、藤井は「ああ」と優しく答えた。


にがくて、あまい。

まるで、二人の関係そのものだった。