乳がんになって約4年、転移して約1年が経過しました。

 

 

これ位になると自分が乳がんであるということを受け入れ、諦めのような境地になりつつありますが、いくらステージ4の乳がんでも余命という言葉を使われるのは、抵抗感があります。

 

 

私の母は50歳の時に胆管細胞癌が見つかり、癌の告知とほぼ同時に医師に余命半年と言われて、告知から約5カ月後に亡くなってしまったので、余命と言う言葉は好きではありません。

 

 

医師も数多くのデータや経験から、患者に余命という言葉を用いると思いますが、それを言われた患者のショックたるや、生きる気力を失い、坂道を転げ落ちるように病が悪化していく母のような患者もいるということをほんの少しだけでも想像してもらえたらと思うのです。

 

 

おまけに余命を宣告されても、その後のフォローや今後の詳しい経過などの説明もなく、ただやみくもに恐怖心だけを与えられて、その後は行き当たりばったり的な処置に私たち家族は翻弄されました。

 

 

今から20年以上も前の話しですが。

 

 

とはいえ、死をタブー視するあまりに、最期の時をどう迎えるかを十分に考えていないと、患者本人やそれを見届ける患者家族の肉体的・精神的苦痛が計り知れないものになるということを、自分の母親の死をもって経験しているので、自分の最期はできる限り苦痛を取り除いてほしいとあらかじめ家族に告げています。

 

 

私の母親は本当に亡くなるその瞬間まで苦しみぬいて死んだので、母を思い出す時、どうしても最期の瞬間の母の顔が思い出されて、一緒に母の最期を看取った当時20代だった私と弟は、かなりのショックを受けました。

 

 

母があまりにも長い間苦しむので、もう苦しむ姿は見たくない、早く楽にしてあげたいと心から思いましたが、それは叶わず、大好きだった母は苦痛の中で亡くなっていきました。

 

 

私と弟は母が亡くなった後、母の思い出を一緒に語ることができないほど母の死がトラウマになりました。それは現在までも続いています。

 

 

できれば私の子供たちには私や弟と同じ思いはして欲しくないと思っています。

 

 

なので、私の最期の時は、もし意思の疎通が取れなくなっても、死期を早めることになろうとも、可能な限り苦痛を取り除いてほしいと、ことあるごとに夫や長男に言っているので、そうしてくれると信じています。

 

 

ですが、まだまだ死ぬ気もないし、信頼できる主治医の元、乳がんを根治してビールを浴びるほど飲む予定でおりますので大丈夫ですウインク