手のないママのところにやってきた宝物。。。 -46ページ目

手のないママのところにやってきた宝物。。。

両腕のない母のところにやってきた✨天使✨

でも、、我が子も
先天性四肢欠損。
先天性右足内反足。
先天性左足脛骨欠損。
という手と足に障害を持ってやってきた!

障害者が障害児を育てる。人生と子育ての記録。

娘が生まれた次の日から
仕事終わりの夫と義母が毎日会いに来ました。

娘を可愛い可愛いと言ってくれました。

問題は義父。
義父は生まれた日に会いに来た以来1度も来る事はありませんでした。
そんななか、産後2.3日経った頃
義母が付き添っている私の母に電話で話している内容が電話越しに聞こえて来ます。

「なんでお腹の中でもわからなかったのか?検査したんじゃないのか?なんで産む前にわからなかったのか」と。義父が怒りながら義母に言ってきたと電話で話してるのが聞こえました。
そんな言われても、悲しい事も腹がたつこともなく
今思うと、何言われても仕方がない。とでも思っていたのかな?と思います。

それから義父は半年間、、、
1度も娘を抱くこともなく名前を呼ぶ事もありませんでした。
(この話はまた、どこかで詳しく話したいなと思います)
家族が言うには産後3日目までは
私がこのまま死んでしまうのではと思った。
そのくらい、目は死に言葉もほとんどなく食事もほとんど取ることなく。これからどうなるのか。と心配したと言っていました。

でも、それを救ってくれたのは実母の行動でした。。。

生後1日目、、、
夜中の痛みと戦った翌日。
何時ごろだったかも覚えていません。
担当の助産師さんが娘を連れて主治医とやってきました。
(言われた内容は正確ではないがこんな感じ)
「両手の方は検診で伝えていた通りで、右手が肘が伸びない状況です」
ここまでは、まだ大丈夫。
私が手がないからどうにかなる。と余裕があります。
そして、、、主治医から
「足は左足は先天性内反足ですが右足は少しまた違うみたいです。専門の整形の先生にコンサルします。エコーでは分からなかったんだよね」
と言われて娘の足を見せられました。

この時の感情は「無」に近かったのでは
と今になれば思います。
涙も出ません。先生に質問する事もありますせん。
ただただ、「はい」
と一言それだけを言ったような気がします。
それから、3日間は何を考えて過ごしたか
記憶にありません。
ただただ、義父母の言葉に傷つく耳を覆いたくなる日々が始まったのは覚えています。。。

病室帰った私は意識が朦朧。
私に取り付けられてるモニターはアラームがなり
顔面蒼白でかすかな記憶しかありません。

待機していた家族はまだ娘との対面が出来ていませんでした。
夫が聞きに行くと、やっとシーツで顔だけしか見えないように包まれた娘と対面出来ました。

私は意識が朦朧とするなか、夫に手術室で確認した娘の手の状況を一生懸命伝えました。
↑ここまで、私達は足が片方二本指しかなく曲がっている事を知る由もありません。

そして、新生児室に戻った娘を後から来た義父が、見せてもらいに行ったのです。
すると、ちょうど着替え中だった娘はオムツ一枚。
窓越しに見えたのは娘の足。だったそう。。。
慌てて戻って来た、夫が私に
「片足がこうやって指も二本しかなかった。あれも内反足か?」と言いました。
私の頭は真っ白です。たしかに胎児の時に
両足の内反足とは言われてた。でも指が2本とか聞いてない。
とっさに私の母が
「内反足よー!曲がっててそう見えただけよ」と私に言いました。
でも、後から聞いた話では、私の両親は
夫と夫の両親に「すみませんでした」と頭を下げたらしい。
両親が健常者でそこの家庭から生まれた子が障がい者の時お互い自分を責めそうですが
我が家の場合は、私が障がい者だったという事で
全て、私が原因。そういう雰囲気でした。

その日の私は術後の痛さもありますが
とにかく、寝ると手術室で娘との初対面の場面が
何度も何度も蘇り、苦しい夜を過ごしました。。。

次の日から、私は泣く毎日を過ごすことになりました、、、、。