宝塚版の『NINE』を観劇してきました。
映画も見ていないし、見落としもあるだろうし、私の感じたことの感想です。
現実を生きる女性たちと、妄想の世界に生き続けるグイード。
その対比がとても鮮明で、観終わってからも余韻が残っています。
第1幕の終わり、繰り返し歌われる「キエーザ」と言う言葉の連呼。客席にいる私まで精神的に息が詰まるような苦しさがありました。それは、グイードが抱えている深い闇のリアリティそのもののように感じました。
一人の女性として、私の感情が最も深くシンクロしたのは、妻のルイーザです。彼女の痛みが伝わってくるからこそ、本来ならグイードに嫌気がさして当然のはず。それなのに、彼を突き動かしている苦しさ、その孤独の深さを見せつけられると、不思議と私もグイードと一緒に苦しくなってしまう。
彼が抱える闇は、物語が進むにつれて、痛いほど理解できるようになりました。
すべては、9歳のあの砂浜から始まっていました。娼婦サラギーナに魅了された幼いグイドを、厳格なカトリックである母親は拒絶する。
「なぜあんな所へ行ったの」
母親の一言は、幼いグイドの心に、一生消えない傷を残したのだと思います。
それ以来、大人になったグイードは、現実を生きる女性たちと向き合うことができず、自分の妄想、映画の世界に閉じこもり、歪んだ愛を求め続けていた。
2幕で、母親の膝枕から妻の膝枕へと変わる場面が、とても象徴的でした。グイードは様々な女性と関わりながら、実はすべての女性に、母親の代わりを求めていたのではないか。無条件に自分を受け入れてくれる存在を求めていたのではないか。
けれど、現実を見つめている女性たちは、最後には一人、また一人と、妄想の世界に生きる彼のもとを去っていきます。
そして、すべてを失ったグイードが、自らに銃を向ける。そこに現れる9歳のグイド。
少年が銃を取り上げる、あのラストシーン。実際には銃声は響いておらず、引き金も引かれていません。だからこそ、あの結末は観客に委ねられているのだと思います。
観劇直後は、大人としての苦しみに満ちた現実が終わりを迎えた、「肉体の死、そしてあの世での解放」のようにも感じました。
でも、時間が経って振り返るうちに、あれは、「これまで妄想の世界に生きてきたグイードの死」だったのではないか。
女性たちを、自分に都合のいいファンタジーの登場人物としてしか愛せなかった自分。そんな自分に、自ら終止符を打った瞬間だったのではないか。
そう考えると、最初の場面とラストの演出もつながって見えてきます。最初にグイードが布をかけて閉じた箱。ラストでは、リトル・グイドがその箱を開け、9歳の頃の思い出の品々を取り出していく。
あの箱は、まるでグイードがこれまでの人生を仕舞い込んでいた「棺」のようにも感じました。
そして、彼の周りを取り囲む、黒い服を着たたくさんの女性たち。喪服をまとっているようにも見える。まるで、古いグイードの「お葬式」のようでした。
9歳の少年が銃を取り上げたことで、グイードは過去の呪縛から解き放たれ、ようやく子ども時代を終わらせることができたのではないか。だからこそ最後、去っていく妻を泣いて引き留めるのではなく、一人の自立した大人として、彼女の人生を尊重し、手を振ることができた。
切ない永遠の別れ、あの世からの挨拶とも受け取れる。
一方で、現実を生きる新しい関係への一歩、再出発とも受け取れる。
どちらとも決めきれないからこそ、あのラストシーンが心に残りました。
そして、そんな重厚な人間ドラマを紡ぎ出した月組のキャストの皆さん。
グイード役の鳳月杏さん。ほぼ出ずっぱりで、最後まで舞台を引っ張り続けていました。この役は、鳳月さんだからこそできた作品なのではないかと思います。きっと「鳳月さんにやってほしい」と思っている役を、たくさんの方が持っているんだろうなあ。今回のグイードは、鳳月さんが持つ大人の色気と哀愁の奥に、母親に拒絶された9歳の少年の危うさが滲んでいました。その少年の部分が見えるからこそ、グイードの孤独が、より痛く刺さったのだと思います。
ルイーザ役の天紫珠李さん。グイードを愛しながらも、現実をしっかり見つめ、自分自身の人生へ一歩を踏み出そうとする妻。その強さを芯に感じる役づくりで、とても共感しました。天紫さんは、もともとの美しさに「強さ」が加わると、さらに魅力が増すと思っていて、最近の作品でそれを強く感じます。鳳月さんとのコンビでも、のびのびと演じているように感じました。
それは、二人だけではなく、今の月組全体にも感じることです。
母親役の夢奈瑠音さん。グイードのトラウマの根源であり、同時に彼の中で「聖母」のような存在でもある母親。透き通るような綺麗な歌声が劇場の空気を包み込みます。慈愛だけではなく、厳格さと条件付きの愛を感じる母親でした。
だからこそ、「なぜあんなところに行ったの」という言葉が、あれほど重く残る。幼いグイドにとっては、あの一言がトラウマになってしまったのだろうと思います。
クラウディア役の礼華はるさん。2幕の最初にあるグイードとの丁寧なお芝居が良かったです。グイードのミューズとして、彼の妄想を満たす存在でありながら、クラウディア自身もまた、一つの現実を選んでいく。その距離感が印象に残りました。
サラギーナの桃歌雪さんの力強い歌声と存在感、リトル・グイドの美海そらさんの透き通った歌声も印象的でした。
そして、重厚な物語のあとに待っていたフィナーレ。作品の持つエッセンスと、宝塚歌劇の華やかな魅力が融合していて、とても素敵でした。
張り詰めていた心がふっと解放されて、最後には宝塚ならではのまた違う興奮に満たされました。

