ラビット・ホール | 気のむくままに

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観劇日記の様になってますが、気になりましたら、読んで頂けますと嬉しいです。

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ラビット・ホール@PARCO劇場


【脚本】デヴィッド・リンゼイ=アベアー

【演出】藤田俊太郎

【出演】宮澤エマ、成河、土井ケイト、阿部顕嵐(ダブルキャスト)、山﨑光(ダブルキャスト)、シルビア・グラブ

初日に観劇。
おしゃれなダイニングリビング。中央に大きな白い螺旋階段が印象的。
ボールが中央の階段から落ち転がり始まるのだが、その意味が後でわかる。
素敵なセットだなあと思いながら始まった芝居は、砂か水が染み込むように、すーっと入ってくる会話劇だった。

成河さんが、皆んなで日本語の「しゃべり言葉」に拘って作ったと言われた翻訳劇。


お互い触れてはいけない何かに気を使っている空気をひりひり感じ、夫婦、家族の会話が積み重なっていくと、徐々に何があったのかが分かってきた。
誰も責める人のいない、不慮の事故を、抱えた夫婦だった。

不慮の事故で4歳の息子を亡くしてしまった2人。

息子の物を観ているのが辛そうな母ベッカ、思い出のビデオを観て偲ぶ父ダニーと悲しみ方も違えば、立ち直ろうとする方法も違う2人。

長く連れ添った夫婦であっても、違う人間であり、同じ感覚でないのは自分も生活していてつくづく感じるが、同じ悲しみを抱えているのにすれ違ってしまう感覚は悲しすぎるなと思った。

ある出来事をきっかけに、1幕ラストは、2人の喪失感にうちのめされそうになった。

長い暗転が、その喪失感をさらに余韻とした。


2幕、妻の妹と母との会話もギクシャクしたものから少しずつ寄り添える時が出てきたものに感じ、悲しみにはやはり時間というものも必要だと思った。

さらに加害者となってしまった青年が訪れてと、その青年に対する態度も違う2人。


家族ゆえにイライラする言葉。お互いを思うがゆえの衝突やすれ違い。楽しい会が一言で崩れる雰囲気。
全編を通し、自分にもある苦い感情とかさなると、胸がきりきりした。

ベッカとベッカの母との会話、後から2階にあるのが分かった子ども部屋の片付けられた空間に泣きそうだった。


そしてラストの夫婦の姿に、心があつくなり、最後までみて良かったなあとつくづく感じました。

ラスト、あんな風に手を繋げる2人に羨ましさえ感じた。

2人でゆっくり歩んでいくんだろうなあと思う最後でした。




素晴らしい作品だと思うし、観て良かったのですが、これ、PARCO劇場では大きすぎる作品だと思います。

私は2列目だから良かったけど、もう少し値段も下げて上演出来たらお勧めするんだけど。

追記

後ろ3列席を潰して販売していないとのツイートを読みました。後方席への配慮はしているのかな。