春には小学校入学を控えていた、6歳の冬。 
新生活を見据え、ついつい厳しい物言いになっていた母。
これまではなんとなく「まだこの子には無理」と母が勝手に限界を決めてしまった。
しかし成長の芽に触れる度、どれだけジョジョの可能性を潰してきたか怖くなることがある。
そんなわけで少しでも出来ることを増やしたいと、いささか躍起になっていた。

一人でこなせることでもどうにか回避して親にやってもらおうと画策するジョジョ。
「ヤーヤ!」とそっぽ向いて、「しょうがないわねぇ…」の一言を待っている。

しかしもうその手には乗るまい、と冷たく突き放すようになった母。
するとさらに頑なに抵抗してみせるジョジョ。
こうして不毛な意地の張り合いが幕を開けるのだ。

イソップ童話に「北風と太陽」というお話がある。
旅人の着ているコートを脱がせたい北風は力まかせに冷たい風を吹きつける。
まさにこの「北風」と化す母。

これでもかーと圧をかけまくり、嫌がってでも一人でやらせる場面が増えた。
しかしながら、ものすごく遠回りをしているのではないかという疑念が絶えない。
「やらせる」ことが目的なのか「自分でやりたい」気持ちを育てることが目的なのか。
言わずもがな母の希望は後者なのだが、結果として根付いたのは「やらされてる感」。

一方、ひたすら見守る「太陽」と言えば夫である。
我が子が可愛くて仕方ない夫、ジョジョがぐずって泣けば機嫌をとりまくり
やることから逃げてもべったり手を貸しじっくり寄り添う、いささか甘めな太陽だ。
ちなみに「北風と太陽」で最後に勝つのは太陽。
寓話通りなら、ジョジョのやる気を促すのは父の方である。
しかしそう単純にいかないのが我が家のあまのじゃく。
母と二人きりのとき機嫌を悪くしても最後は自分で気持ちを切り替えることが出来るが
父と一緒のときは父が機嫌を直してくれるものと、よろしくない学習をしてしまった。
つまるところ、ジョジョには「太陽」だけでもダメらしい。

それから数年、両者のさじ加減に右往左往していた母。

あるとき「北風は疲れる」ということにはたと気づく。

叱るのも命令するのも、ものすごくパワーを使うのだ。

それからというもの「学校で頑張っているからいいかー」と、あっさり北風役を降板。

太陽になるというよりは、少し無関心になってみた。

言ってダメなら放っておく、という新たな手法の誕生である。

そしてこれが高学年になっていたジョジョには上手くフィット。

様々な場面で自発的行動が見られるように。

とはいえ、幼少期から放任主義を貫いてもこうはならなかったはずで、

子育てはつくづくその子の個性とタイミングなのだと思わされる。

 

さて13歳になっても親に歯磨きさせようとするジョジョ氏。

毎日「自分でやれよ」と呆れつつ、我が家のパレードは続くのだ。