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自転車で大陸を越えるブログ

学生のとき自転車で日本縦断、オーストラリア横断。一旦は就職したものの、会社を辞めて北米縦断。次に目指すは中南米縦断。このブログを通じて自転車で海外を旅する楽しさが、なるべく多くの人々に伝わればイイなぁ…と思っています。

1月8日の『帰国』で「おちついたら、まだユーコン辺りで止まってる旅の話や今の心境をちょっとずつアップしたいと思います」って書いてたのに、モシャモシャとした今の心境ばかりを書いていて、旅の話をほとんど書いていませんでした(笑)。


そろそろ、ちびりちびりと旅の話をアップしていこうかなぁと思っています。書きたいことがありすぎて困ってるぐらいです。でも、今の心境とかもココに書き出していきたいとおもっているので(すごくアタマの整理になる)、前後の記事が混乱してしまうかもしれません。


いちおう、記事の右上の「テーマ:」って所が「北米自転車縦断」ならば旅の話、「徒然日記」ならば今の心境、ってカンジでテーマ分けをして書いていきたいと思います。左列中央のTheme Listでそれぞれのテーマを選択するとそのテーマだけが表示されるので、前後する記事と混乱せずに読みやすいかもしれません。


次の旅の準備も確実に進めたいので、たまにアップをすっ飛ばすこともあるとは思うのですが、なるべく毎日の更新を目指したいと思います。


ではっ。



同じ空の下で同じ釜の飯を食ったヤツらからメールが来た。


抑え気味の内容だったけど「はやく旅立て!」ってメッセージ。


だよねって、つくづく思う。


そんで、しみじみ、ありがたいなぁと思った。





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ようやく組み立てました


実は、ロスサンゼルスで自転車をダンボールに詰め込んで日本に持ち帰ってから一ヶ月以上経っているんだけど、ずっと自転車をダンボールに入れっぱなしだった。なぜか自転車を取り出す気にすらならず、ずっとほったらかしにしていた。


今日、ようやくエイヤ!っと気合を入れて整備をしつつ組み立てた。組み立てているうちに「今までこんなに暗いトコに入れっぱなしで申し訳なかったなぁ…」って気持ちがじわじわと湧いてくる。今までコイツが壊れずにいたお陰で日本もオーストラリアもカナダもアメリカも無事に走ることができたのだ。


出発前よりも傷が増えてイサマしくなったのは良いけど、今回の旅で確実にコイツの寿命が短くなっってしまったことは間違いない。どんな素材で出来ている自転車にも寿命はあるし、それは乗り方と乗った時間で決まってしまう。


この自転車は僕が高校生の頃に友人から買ったので、もう13年近く乗っている。そろそろどこかにクラックが入ってもおかしくない年頃なのだ。あとどのくらい乗れるか分からないけど、あともうちょっと持ちこたえて欲しいナァと思う。


まあ、日本でママチャリみたいな乗り方をされて余生を過ごすよりも、旅先でポッキリ折れちゃうぐらいのほうがコイツ的には満足なのかもしれないけど。…もちろんそんなことになると僕は非常に困るんだけど、それでもまぁイイかなぁと思えてしまう。


んで、そう思えば思うほどダンボールに入れっぱなしだったことが申し訳なくなってくる(笑)。


そんなカンジで元の姿に戻った旅のあいぼうを眺めながらシミジミしてみる今日この頃です。

ちと、引用が長いかなぁ…とおもったけど前後を削ると意味がなくなる気がしたので段落をそのまま書きます。




若い頃には欲しいものはとりもなおさず、とうぜん自分のものになるべきだと信じがちだし、なにかが欲しくてたまらなくならば、手に入れるのが神からあたえられた権利だと思い込みがちである。その年の四月、クリス・マッカンドレスのようにアラスカへ行く決心をしたとき、私は情熱を洞察力と勘違いしていた未熟な若者であり、欠陥だらけのあいまいな理屈にしたがって行動していた。デヴィルズ・サム山の登頂は、うまくいっていない私の人生を根底から変えてくれるものと思い込んでいた。もちろん、結局は、ほとんどなにひとつ変わらなかった。ところが、はっきりわかったのは、山は夢の貧しい避難所として役立ってくれるということである。そして私は生きながらえ、自分の体験を話しているわけだ。


ジョン クラカワー, Jon Krakauer, 佐宗 鈴夫
荒野へ





北米に行く前に読んでカンドーした本だけど、もういちど読み返すとまた違う発見がある。僕にとっての自転車の旅が夢の貧しい避難所だとは思わないし、人生がうまくいっていないとも、旅が終われば人生が変わるとも思わないけど、登山家としてのジョン・クラカワーが感じた深い喪失感みたいなものが、今はすこしは理解できる気がする。


でも、誰になんと言われようとも、まだしばらくは情熱みたいなものを持ち続けていたいなぁ…と思う。僕はまだ過去を振り返られるほど歳をとっているわけじゃないんだし、オッサンの登山家に自分を重ねちゃうのはまだ早い。もちろんクリス・マッカンドレスのように死にたくもないけど。


(ところで『夢の貧しい避難場所』って原書でどう表現しているのだろう?)


今日の昼にプレゼンテーションをする。内容は今回の北米の旅で一番よかった場所の紹介。発表は英語で30分ぐらい…。はっきり言って朝からドキドキしている(汗)。うまくいけばいいんだけどなぁ。


なんまんだぶ、なまんだぶ。


* * *


まちづくり市民交流プラザ


なんとか無事に終了。プレゼンの様子を写真に撮ろうと思っていたけど、そんな余裕はありませんでした(汗)。つたない発表を聞いて下さって本当にありがとうございました。



思うに、いかんともとしがたく、僕は”移動”という、魅惑的で不思議な感覚の中に身を置くのが好きなのだろう。そして、初めてみる風土であろうとも、景色であろうとも、それらはまるでいつしか失われてしまった愛しい体の一部であるかのように感じられることがあって、だから、長くそれらのものと離れた日常の中に埋没していると、耐えがたい喪失感のために正気を保つことさえ難しくなる。


僕にとって、旅は楽しみであるということと同時に、それ以上に、治癒を目的とした行為の意味を持つものなのだと思う。 


素樹 文生
上海の西、デリーの東


何度か読んでいるハズの本なんだけど、あらためて読み直してみるとミョウに惹きつけられる部分が多い。今まではスルーしちゃってたコトバが心のどこかに引っかかって離れなくなる。少しは僕も成長したってことなんだろうか。


ところで、僕にとっての旅の意味って何なんだろう。出発前もこんなこと言ってた気がするなぁ…。

7年半をかけて自転車で世界を一周した石田ゆうすけさんがブログをはじめられた。→石田ゆうすけのエッセイ蔵


ゆうすけさんはウェブ上で「今日のエッセイ」をほぼ毎日連載されていて、それらを整理するためにブログを立ち上げたらしい。古いエッセイはあまり読んでいなかったので、ブログの中で一番古い2003年7月のエッセイから読み始めた。


暇つぶしのつもりでナナメ読みをしていたけれど、2003年12月15日の「ロンドンのノスタルジー」というエッセイを読んで思わずハッとしてしまった。


(中略)

旅は、非現実の空間である。夢の中の世界みたいなものだ。旅を終え、日本という現実の世界に帰ってくる時、まさしく夢から覚めるような感覚を味わう。旅に出ていた時間は、幻のようになってしまう。夢から覚めた時、現実の世界を見て懐かしく感じるはずがないように、旅を終えて日本に帰ってきても、懐かしいと感じるはずがない。そこにあるのは「帰ってきてしまった」という虚無感だけだ。 (ボールド化は僕です) →ロンドンのノスタルジー


僕自身の今の気持ちがあまりにも的確に書き表されていて、読みながら鳥肌が立った。心の深いところにモヤモヤと立ち込めていた霧が一気に晴れた気がする。「あっ、それそれっ!」ってカンジ。まさにビンゴ。自分では言葉にすることの出来ない気持が言葉にされている文章を読むと、とてもスッキリする。ようやく自分の気持ちに納得できる。


ゆうすけさんは7年半の旅、僕はたったの半年。旅の期間があまりに違うので比べることすらオコガマシイのだけれど(ゆうすけさんは僕よりもっと深い意味での虚無感を感じていたのかもしれない…)、程度の差こそあれ長い旅を終えて帰国した旅人が感じる気持ちは同じなんだろうと思う。


1月6日に日本に帰ってきて以来、かつてないほどの虚無感がずっと続いていた。でも、この短い文章を読んで憑き物が落ちるみたいにスッキリした。原因と結果がロジカルに結び付けられると安心するものらしい。例えば体調が悪くて「変な病気にかかったのかも…」って心配して、いざ病院に行ったら普通の風邪ってことが分かって「なんだ風邪かよ…」ってホッとするようなモンだと思う。原因が分かればトラブルにどう対処するかも決まる。


気持ちを前進させるエンジンがようやく動き始めた気がする。日常は日常、旅は旅。現実と夢をちゃんと割り切ってこれからも前進していかなくっちゃぁイカンなぁと思う。虚無感すら自分自身の成長の糧にしたい。


うぉっしゃっ(気合)!!

おもいっきりディープな事をココに書き込んでいて、しかもブログの更新が滞っていたので、色々な人にご心配をおかけしちゃいました…。そんなに落ち込んでいるわけでもないのでダイジョウブです。


ブログの更新をサボっているあいだに、Google MapsのAPIを使って僕が北米を自転車で走った「わだち」の地図を作りました。あんがい簡単に人に見せられるレベルの地図が出来ちゃいました。Google Mapsってすげぇ。今後はもっとマーカーを増やすつもりです。

→旅のわだち β版



Google Maps


ブログもびみょーにいじってます。メロメロとCotanを追加してタイトルを変えました。タイトルをコロコロ変えてすいません…。実は検索サイトを意識しちゃったりなんかしています。メロメロを使っている人はいわしの友達になってやってください。


メロメロ

↑いわし


メロメロの下のCotan には7つの写真がランダムに表示されます。これから写真を増やすつもりです。


そんな感じでおしらせを終わります。ではっ。

なんにもやり遂げちゃいないのに、

なにかをやり遂げちゃったような気になっていたりして。


そりゃイカンじゃろ。

イカン、イカン。


ん?


イカンと思いこむのがイカンのか?

いきなり重くて長い話だけど、自分自身の気持ちを整理するために。


* * *


去年の夏、僕がアラスカへ出発した1週間後に父は入院し胃のほとんどを手術で切り取った。父の病名は胃癌だった。


なにかと問題の多い職場はもちろん(父は高校の教師だ)、痴呆が進んで徘徊をくりかえす祖母や、祖父の突然の交通事故死とその後処理、そしていきなり会社を辞めて自転車で海外を旅するなんて言い出した僕が父の胃に負担を与えていたのかもしれない。


もともと責任感が強く真面目な父は、なにをするにしても真正面からぶつかってしまうので、溜め込むストレスが普通の人以上に多かったのだと思う。


僕が父の病名を知ったのはアラスカへ出発する2週間前ぐらいだった。父が僕に直接伝えた。頭の後ろに大きな穴が開いてシューシューと空気が抜け出していくような気分だった。祖母、祖父に続いて今度は父か…と思った。悪いことはドミノのように連鎖するものらしい。


僕は旅を延期するか、そのまま出発してしまうか決断しなければならなかった。


いや、ちがう。


そもそも旅の「延期」なんてありえなかった。7月以降にアラスカに出発した場合、おそらくカナダの半ばで冬になり、その時点で旅を中止せざるをえなくなる。出発は7月でも遅すぎるぐらいだった。つまり「旅の延期」は即、「旅の中止」を意味していた。僕は旅の「続行」か「中止」の選択を迫られていた。


僕が旅を中止していれば少なくとも父の抱えるストレスを減らし、それをリカバーする事だってできたかもしれない。でも、僕は旅を中止しなかった。予定通り2005年の7月7日にアラスカへ出発した。


* * *


旅の続行は僕自身が一人で決めたことだった。誰にも相談はしなかった。旅を続行するにしても中止するにしても、自分自身で決めなければ後々必ず後悔するだろうと思っていた。


僕は日本で父と辛さを共有するよりも、日本を飛び出して僕自身が旅を楽しむことを選んだ。すこし引け目を感じたけれど、強がりの父のことなので自分が弱った姿を息子に見せたくはなかっただろうと思うし、旅を通じて僕が少しでも成長していればそのことを喜んでくれるだろうと思った。


結果的に僕が旅を中止しなかったことは正解だったと思う。ロサンゼルスで旅を一旦打ち切って帰国した時、広島空港で出迎えてくれた父はすこし痩せていたけれど僕が想像してていた以上に元気そうだった。最近では胃癌も致命的な病気ではなくなっているし、僕がシリアスに考えすぎていただけかもしれない。カラ元気を差し引いても元気そうな父の姿をみて安心した。轍を途切れさせてでも一時帰国して良かったと思った。


半年ぶりの我が家に帰って、僕はビールを父はオチョコ一杯の日本酒を飲みながら旅の話をした。


僕の旅の話を聞いて父はとても喜んでくれた。母の話によると父は僕が一人でアメリカとカナダを自転車で旅していることが自慢だったらしくて、いろいろな人にその話をしていたらしい。意外だったけれど嬉しかった。人の気持ちなんて聞いてみないと分からないものだと思う。


父は手術とその後のリハビリを武勇伝のように話した。内視鏡で手術するハズが途中で開腹手術に切り替えたので手術後の回復に時間がかかったことや、胃のあった部分に小腸をつなげているんだけど胃ほど膨張しないので食べ物を時々もどしてしまうことなどを聞いた。食べたくてもすこししか食べられないのが一番つらいらしい。


病人は自分の手術跡を他人に見せたくなるらしく、風呂上りに父はパンツ一枚の姿でお腹の傷を僕に見せた。お腹の真ん中に真っ直ぐ縦に走る15cmぐらいの手術跡自体は驚くほどのものでもなかったけれど、元々ガッチリした体格だった父の痩せ具合はショッキングだった。


骨の浮き出た背中やあばら。脂肪がなくなってダブダブに垂れ下がったお腹の皮膚。枯れ木のように細くなってしまった腕と腿。とても直視できるものではなかった。顔がそれほど痩せていなかったので安心していたけれど、父の体は僕が思っていた以上にダメージを負っていた。僕は、スリムになってよかったじゃん?とムリに笑うのがせいいっぱいだった。


父と母には3月の上旬ごろに旅を再開さたいことをまだ伝えていない。言うタイミングを逃してしまったこともあるけれど、この2人を日本に残して本当に旅を再開させていいのだろうかという迷いもある(母も父の看病で疲れているように見える)。日本に帰ってまだ2週間だけど旅への気持ちは膨らむばかりで、それに比例するように迷いも膨らんでいてとても複雑な気持ちが頭の中で渦巻いている。


ロスにいたときは日本に帰ったらあれもしてこれもして…って考えていたんだけど、イザ日本に帰ってみるとなんだかなにも手につかなくてこの2週間ほとんどなにもしていない。決断を先延ばしにしてもなにもいい事はないってのは分かっているんだけど、ぐだぐだと一日を過ごしている。


* * *


かなりシリアスな話になっちゃったけど、どこかに自分の気持ちを思うままに吐き出さないと整理できなかったのでこのブログに書き出してみた。すこし…っていうか、かなりスッキリした。旅の話をブログにアップしようと思って写真を整理していると、次の旅への思いがグアッ!と膨らんできて、だけど迷いもグアッ!と膨らんで頭が混乱していたけど、この話を書いているうちにやっぱり僕は旅を再開したいんだってことが分かった。


焦ってもろくなことがないって事は分かっている。すこしづつ、あせらず、ココロとカラダの準備ができたら、できることから、なにかはじめようと思う。