ここのところ雨続き☂️
今日息子はオリエンテーリングの予定だったが、可哀想に延期。
とりあえず給食がないので、弁当を作って、冷蔵庫に入れ、家を出たが、忘れずに持っていくか、心配や。
最近 、月曜も上靴やら給食ふくろやら忘れがち、忘れんなよと声かけし、わかったとはいったものの、生返事にならなければいいのだが…。
ところで表題のこの映画、自分的には好きな映画のひとつ。
この時代のアメリカの映画、なんで男二人もの、しかもロードムービーが多いのか?
全く女が出てこないわけではないこの映画、しかし物語に流れるのは、行きずりではあるが、心のどこかで惹かれあった男の友情である。
もともとテキサスの田舎でくすぶっていたジョンボイド演じるジョーが、ニューヨークの女相手の男娼で成功してやると妄想し始めたところから物語は始まる。
カウボーイの格好がお気に入りで、女達は必ずたくましいカウボーイのような男が気にいる筈と思い込み、ニューヨーク行きのバスの中で聞くラジオから流れる女性へのインタビューの答えーたくましい男がいい、という声だけを聞いて、絶対いけると確信してする田舎ものぶりは、見ていて恥ずかしいくらいだ。
しかしいざニューヨークについて、色んな女に声をかけるたび、恥知らず、と罵声を浴びせられたり、全く無視されたり、たまに飼い犬に持て余した女を助け、うまい具合に寝る事が出来、いざお金を要求するとなると、急に泣きわめかれ、用事で出かけるのにタクシー代がないと、反対にかねを巻き上げられる始末。
都会のしたたかな女たちにいいようにあしらわれ、見事に現実を垣間見せられる様子が描かれている。
おまけに、ホテルに支払う宿代さえ無くなり、早々と途方に暮れてしまうのだ。
最初妄想の赴くまま、都会に出てきたところが昼なら、この辺りから、夜の情景が多くなってくる。また、それと歩調を合わせるように、ダスティンホフマン演じるリッツオが登場するのだ。
イタリア系の足がびっこで、みんなからはラッツオ(ネズミ野郎)と小馬鹿にされ、世の中を拗ねたような見方で生きるキャラクター設定。
カウボーイよろしく街を闊歩するジョーの横をちょろちょろ歩く姿ー片足の自由が利かず足の甲が内側に沿った状態のまま、引きづりながら歩く様子に、ほんま足悪いんちゃうと、勘違いしてしまうくらい。ダスティンホフマン、スゲーな。
最初はジョーに媚び入り、仕事を紹介するため、街の顔役に紹介するといいながら20ドルをだましとってしまう。
田舎者相手に、軽く都会もののジャブを浴びせるという感じです、このへんは。
この時、紹介されたダニエルというのが、強烈なキャラで、目は瞳孔が開いたまま、口元からよだれを垂らしながら、やたらと興奮してる。
ジョーもおかしいと思いつつ、へんに会話が噛み合ってしまうものなので、なんとなく意思が通じてるのかな思いながら、会話が続きます。
ところがお互い話が通じたと思った途端、ダニエルは我慢しきれなかったという感じで、トイレの扉をあけると、そこにはマリア像が祀られていたのだ。
ダニエルはもう陶酔勘違いたっぶのうっとりとした表情で、一緒に膝まづいて、思う存分祈ろり倒そうと、ジョーを促すというオチ。
怖くなったジョーはすぐさま逃げだしてしまう。
トイレにマリア像というのが異様やし、夜通し祈ることに楽しみというか、快楽を見いだすといえ設定が、不気味というか。
しかしダニエル、何回見てもええ味出してるわ。
それはともかく、これがきっかけでホテルを追い出され、荷物も質に取られるなど、散々な目にあって、街を彷徨ううちに、リッツオに出会い、最初は怒りに任せて罵声を浴びせるも、どこかお互い惹かれるものがあり、一緒に行動するようになる。
ここからお互いが理解しあうまでのくだりは、静かやけど、見せ場のひとつ。
二人とも、いわゆる負け組で、この街の夜の深海のようなぬかるんだ世界から抜け出せれるかわからないもんね。それに、心はネガティブになってるし。
たまたまジョーが、住むところがないということがきっかけで、リッツオの住むところに転がり込むんだけど、そこだって閉鎖された市営住宅の裏口から勝手に入り込み、住処としてるところで、いつ退去させられてもおかしくない状況。
だから、素直に手を繋ぎたいところもあるし、突っ込まれて、痛いところを突かれたくもないし、時々和解し、時々ささくれ立った感じの、なんかしっくり来ない感じ。
でも、リッツオが仕事になりそうなホテルへジョーを引き連れたり、少し風邪気味のリッツオを気遣ったジョーが、血液を売った金で、食料や薬を買ってきたりと、おたの負の部分を補完しようという形で、友情が深まっていくんやわ。
映画ならストレートに友情の成立を描いた方がわかりやすいのに、そうでないのは、ほんまの友情というのは、ループ状に作られていくものというのを描きたかったんかな、と思います。
また悲しい事に、二人の友情は負の補完によって高められていくけど、どちらかが抜き出ると成立し無くなってしまうということを、これからの話で示唆してるように思えるんですわ。
寒さも深まっていくニューヨークの街。
リッツオが父親の死の話をする事で、死についての暗示が出てきます。
もともと病気がちやったんかな、それともジョーという存在が出来たことで安心したんかな。
病気がどんどん酷くなるリッツオに対し、ジョーはドラッグパーティをきっかけに、男娼の商売が軌道に乗り始めるんです。
なんとも悲しいなと思います。
人生ってうまくいかんもんやなー。
女性と新しい約束をしたばかりのところで、リッツオは瀕死の状態になってくる。
ジョーは寒いニューヨークを出て、かねてからリッツオが憧れていたマイアミに行けば、病状が良くなると思い、約束を反故にして、マイアミに行くんですね。
リッツオも、マイアミに行けるとなり、なんとか回復しようと、新しい仲間の前ではラッツオと呼ぶなとか言って、自分を奮起しようとするものの…。
ジョーは大好きだったカウボーイの服装を捨て、真っ当な仕事に就く決意をしたにもかかわらずにである。
ラスト付近で、ぬかるみのような深夜の世界から、日の当たる昼の世界へと情景は変化しているのに、深い闇が広がって行くところが、なんとも哀しかった。
BGMとともに暗幕が閉じるところも演出としては、とても印象深かったところである。