さよなら絶望先生の最終回に寄せて(後編) | まぶたはともだち

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最近はプロ野球もお熱です。

※前編はこちら
(これまでの思い出について語っているだけなので、ここから読んでも大丈夫です)

さて、後編です。

思いっきりネタバレしているので、あらかじめご注意ください。
また最終回だけ読んでもさっぱり分からないと思います。単行本最終三十集は8月17日発売らしいです。三十集の頭のエピソードから読めばとりあえず大丈夫だと思います。

全301話。7年にわたる長期連載でありました。もちろんキャリアハイです。

改めて1から読んでみたのですが、あまり作風に変化がなく、1巻の地点で完成されていたのだなと思います。
強いて言えば15巻あたりから加賀愛の出番が徐々に増えてきたのと、19巻から"普通少女"日塔奈美に「ラーメン好き」「夏に太る」など、徐々にキャラクターが変質。

(調べて見たら「絶望放送で中の人の影響を受けていたのだとか」とあったんですけど・……聴いたことないんですよね……)


結末に到るまでの伏線はいくつかありました。
半年ほど前にキャラは3年に進級し、9月入学になったから、と2月には「あと10回で連載終了(直後に4回連続休載もあったので実質14回)」を宣言されます。

徐々に作品中に漂う雰囲気が変化していくなか、絶望少女たちは徐々に自分や周囲に異変を感じるようになっていきます。
ここで詳しく語ることはしません。詳しくはヤマカムでも見てください。

一応簡単に説明すると、
「絶望少女たちは実は全員人生に自殺未遂などを図った経緯があり、彼女らには別の不慮の死を遂げた少女たちの霊が憑いており、寄り代として死んだ少女たちの代わりに学校に通っていた」という衝撃的などんでん返しが明かされます。

さらに可符香は存在せず、絶望少女たちに等しく臓器を提供した「赤木杏」という少女がいただけであり、彼女たちはその影響で「風浦可符香」という少女がいるという共同幻想を抱いていたということが判明。
(一度立ち読みしただけなので勘違いとかあったらお許しください)

まあ「改蔵」のどんでん返し3回転半な最終回に比べれば、大したことはありません。
世界観そのものは否定されませんでしたし。


まぶたがあついや

最終回は在りし日のようなノリではじまります。

まぶたがあついや

「大人になって不自然にひらがな使うと 世間はオタク扱いですよ」

まぶたがあついや

ひらがなを使う権利に限らず、あなた方は小学生であることを生かしきれてません
家の中で家をしてみたり 警戒されずにプリキュ●ショーに行ったり」


あはは。いつも通りだ。


ところを変えて、智恵先生もこの物語の一端に関わったものとして、供述という形で淡々と語ります。

まぶたがあついや

「やがて彼女達はカフカさんの存在を忘れてしまうでしょうね。各自の思い出に置き換えて忘れてしまうでしょうね・・・
でも、それは決してカフカさんが消えてしまうのではなく、融合し同化し彼女にとっての"転生"…」

まぶたがあついや

卒業し離島の島へ赴任した絶望先生を、絶望少女たちは「卒業だけでは成仏できないと思うんです。死後結婚もさせてあげないと。」と花嫁の姿で浜辺を追っかけていきます。
(なぜ赴任したのかについて話すとメチャクチャ長くなるので、申し訳ない、割愛させてもらいます)

このときウエディングドレスが一着余ってしまうのですが、絶望少女たちはそれが可符香の分だと思い出せません。

それは、ちっとも悲しいことではないのです。
彼女の時間が・・・滑らかに・・・他人のものという形ではありますが、滑らかに動き始めたことの表れなのです。

終わりは、別の物語の始まりに過ぎない。
そういえば、人格形成に著しい影響を受けたライトノベル「リバーズ・エンド」最終巻のあとがきにそうありました。
関係は全くありませんが、「さよなら絶望先生」という物語は、それをテーマにして締めくくったのですね。うう、ぐっとくる。

これはこじつけによる「いい最終回だった」「イイハナシダナー」でないことは、ずっと読んでいた読者なら分かりますよね。
仮にこじつけだとして、連載初期からの描写一つ一つにもここに来て伏線としての意味付けを与えてしまっているのです。ぐうの音も出ません。


本編に戻りましょう。
花嫁姿の絶望少女たちから絶望先生は逃げていきます。
逃げて、走って、たどり着いたのは切り立つ崖の上に立つ教会でした。

このとき初めて明かされる、トロイメライの3番の歌詞も印象的です。


きみのうつわ着る かりそめの花嫁姿

カクレの告白 オラショでかきけす愛の呪文

(カクレ・・・隠れキリシタンの意?この島は隠れキリシタンのためにカモフラージュされた宗教が永い間伝承されてきたという設定らしいです)

(オラショ・・・ポルトガル語で「祈り」の意)

いちるの望みは あなたのアリマの名の記憶

(アリマ・・・?すいません、これはちょっとどういう意味か・・・?)



まぶたがあついや

改蔵のときもそうでしたが、ラストはカラーでした。

先生が教会に入るとそこには・・・

まぶたがあついや





まぶたがあついや

え?可符香?



幻想・・・?



それとも、これは本当に・・・?




そういえば前300話のラストシーンもどういうことなのかが分かりませんでした。
$まぶたがあついや

可符香と絶望先生にどういう関係があるのか?

まぶたがあついや

また、絶望先生の「あなたは誰の中の可符香さんですか?」というセリフも良く分かりません。

絶望少女の誰か・・・という解答が一番妥当ですが、そんな浅い意味しか持ち合わせていないとは、ここまでの流れで考えられません。


あんまり訳分からなかったので昨日はここで止まっていたのですが、流石のボクも寝静まった午前2時半、先ほど触れたヤマカムが更新されていたので自分も読んでみました。

http://yamakamu.com/archives/3452860.html

・・・なるほど。曖昧模糊とした、いくつかの推論があるだけみたいですね。
明確な答えがあるわけではなさそうです。
ただ、単にちんぷんかんぷんで理解できなかった自分が悲しいっす。

仮にヤマカムの人が推す「赤木杏」という結論だとすると、彼女は実態がないということになります。
それなのに、教会という宗教的な空間だから現れることが出来た、ということなのでしょうか。

そして、このシーンをもって成仏できた、と。

まぶたがあついや

しかし、この1枚絵には背筋が震え上がりました。
なんというクオリティ。これだけで270円(マガジンの定価)分の価値あるぞ。
この文章を一日寝かせた現地点でも、胸がジーンときます。訴えかけてくる、考えさせようとすることが悲しいです。


改蔵の最終回は、こちらに背を向けたまま改蔵と羽美が海に向かって力強く立ったまま、ぎゅっと手を握り締めているシーンで終わります。

絶望先生はご覧の通り、花嫁装束の可符香がこちらを向いて立っているという1枚絵がラストシーン。本当に絵画のようです。

この画像では小さくてわかりづらいかも知れませんが、可符香の立つ向こうにも海が見えます。
それもまた、ぐっと臨場感を引き立てています。
「イリヤの空、UFOの夏」のラストシーンにも通じるものを勝手に感じております。
(まあ、仮に影響下にあるとしたらAIRでしょうが)

それがなんなのか、具体的には良く分かりません。

まぶしい夏の海は「これから始まる、これからも続く、終わらない季節」「特別な意味のある季節」の象徴なのかもしれません。


前にも話しましたが、ボクは「かってに改蔵」の最終回をあまり好きではありません。号泣しましたけど。あれほど激しくマンガで泣いたことはありませんけど。

最終回が近づくにつれ「先生は同じことをやりそうだ」という予感がありました。
しかし、涙はありません。ものすごくジーンときましたけども。

ただ読み終えた上で思うのは、望んだような通りの終わり方というのは、想像を裏切らなかったということなのかもしれません。

あと、この最終回では男子生徒は久藤くんしか出てきていません。女しかいないかのような扱いになっています。臼井くんや万世橋わたるくんはどこへ行ったのか。というか「進級していなくなった」という話自体つじつまをどう合わせられるのか。

まあ「改蔵」同様、単行本で補足(蛇足)されるのかもしれませんけどね。

アニメ3期もまだ見てないんですけど(近所のGEOに3期だけ置いてないし)、8月17日までには、きちんと見ておきたいと思います。
(OVAはキツいかな・・・)

この場を借りて、ひとまず、久米田先生に「お疲れ様です」という月並みのねぎらいの言葉と、「ありがとう」という、やはり月並みの感謝の言葉を申し上げます。

(前田君はこれからどうやって食っていくんだろう……)