私達平凡な人間は

五感の中に生きています。


日常、

見えるもの、

触れるもの、

臭うもの、

聞こえるもの、

味わうものは

確固たる体験と思われがちです。


本当に今、

どんな確かな事も、

五年、

十年経てば曖昧な

記憶の切り捨ての中に埋もれてしまいます。


あんなに確かに

生きていた少年時代も、

フィルムの遥か向こうの

時の彼方へ漂う。


私達が体験した事得た知識は、

死によって滅びるものなのです。


誰も織田信長の

日常の動き迄知覚し得ないです。


信長が見たもの、

触れたもの、

味わったものは

信長の死とともに消えて行きました。


私達の人生上の体験は全て、

私達の滅びとともに消えて行きます。


あなたのお爺さんが、

またあなたの愛するお婆さんが、

どんな愛を体験し、

どんな日常に安らぎ、

どんな青春を味わったか。


深く、

いちいち知る事をなし得ないように、

あなたの恋愛も、

青春のときめきも、

孫やひ孫には見えないでしょう。


しかし私達がこの世を去る時、

私達があの世に

持って行くものは何か…

その荷物の中味をしっかりと見てみましょう。


まず日常の職場や、

会議や、

対人関係の中で、

嘘やごまかした事や

人をバカ呼ばわりしたり、

無能と決め付けたり、

辞めた人の悪口を言った事は

しっかりとあの世に持って行く。


また不当な利益を得た事や、

人知れずした親切や寄付や、

誰にも知られない悪意も、

誰にも知られない善行も、

しっかりとあの世に持って行く。


私達は死の事前に

自分のなしたら事を毎日、

毎日神へ報告しています。

生きるという事は、

神への報告書作りなのです。


私達一人一人に

心と記憶という

神のスパイが張り付いているのですから、

毎日の神への報告内容に

私達の選択権利はありません。


死に際して

私達があの世に持って行けるものは…

「人に与えた喜びと、

人に与えた悲しみだけ」です。


怒りと

財の所有を少なくし、

人々に安楽をもたらす言葉を

沢山語りましょう。


また生存中に貯めた預金も

財産も

地位も

名誉も

家や

土地も、

そして愛しい体もこの世に残し…

私達は去ります。


残された物は、

子や孫や

あなたに愛着を抱かない人達が

さっさと処分してしまうでしょう。


だから生あるうちに、

天の銀行に善行を預けましょう。


「人々の喜びこそ天の貨幣です。

信こそこの人生の貨幣です。」


" 人があの世に持って行けるものは、

人に与えた喜びと、

人に与えた悲しみだけ "


konishi.M