生存の

快楽の下りは解り易く言えば、

「いつまでも死にたくないと

死を拒否する人々」の事を言っています。


現代医学は

人をなかなか死なせません。

勿論誰も死を急ぐ人はいません。


しかし生に執着し、

老いを拒否しても、

それは自分の領域を超えるものです。


とても

不死を得る事は不可能です。


不正になじみ、

自分の都合と自分の欲のみを果たし、

人の役に立つ事を拒否して来た人は、

死にあたって

「ここで欲のままに死んで

我らはどうなるのだろう」と思い、

今までして来た罪に悩みます。


現代も

この生き方で死に際して、

罪の積み残しに悩む人は多いでしょう。


本当に人の命は短いものです。

四十年、

五十年、

六十年もあっという間です。


強風に飛ばされる

秋の枯葉みたいなものです。


いくら枯木にしがみついても、

あっという間に風にさらわれて、

去りゆく所さえ分かりません。


不正になじんで

お金をたくさん持った人は、


人の傷みと悲しみと

喜びの区別がつかなくなっている事が多いです。


少し貧くらいが丁度いいのですが、

不安から人は皆お金持ちを目指します。


しかし

不正であると知られる

どんな事にもなじんではなりません。


それで蓄財しても

たちまち失われて行くのを経験します。


不正で得た蓄財は軽く、

感謝が無い分、

いくら貯めても

割れガメから少しずつ漏れるように、

財も金も地位も漏れて行きます。


また不正で貯めた金は

手元に置いておくのが辛くなると言います。


そして心が苦しので

大きな買い物をしてしまいます。


生き金とは、

自分や自分の家族の為は後回しで、

他の人々喜びの為、

弱い人々の為に使うお金をいいます。

最後に残ったお金を

自分達の為に使えばいいです。


そうすると

それはまた冬の日に、

居心地の良い陽だまりに人が集まるように、

その人々を

暖める為に必ず帰って来ます。


死に金は

自分の身を飾る服や車や

豪華な会食や銀行に使われたお金をいいます。


それらは

自分の快との交換で

青天の泡雪のように消えて行きます。


陽だまりを求めて

帰って来る事はありません。

生き金の使い方を覚えて行きましょう。


konishi.M