人間世界の闇というかシステムの暗部ばかり見ていると、人間心理についてもそれが嘘なのか本当なのか、相手が表向き語っていることと裏で考えていること(無意識であっても)、相手の深層心理というものはすぐに透けて見えてしまう。

そうやっていうと羨ましいと思う人もいるらしいのだが、これは実は一種の洞察力なので訓練で誰でも身に着けることができるし、また身に着けると着けたで非常に人間としては苦しくなることもある。
 
いずれにしろ確実にいえることは人間は常に嘘をついている。

自分が嘘をついているのも気付いてないことが多く、それはその人の語った言葉だけをとらえていると決して見えない。

その人の行動を見るのが最も重要なのは当たり前だが、過程としての整合性のなさをとらえることも重要(これがほとんどの人がまったくできない)であり、言葉よりも言葉の端々に潜むニュアンスや、助詞などの漏れ出てくる要素をとらえることも重要である。

そして人間とは往々にしてきれいごとを吐くのが常である。
 
ちなみに目を見て話す人はほとんどの人が相手の深層心理を探れてない。

これは逆が真なりと思っている人が多そうだが、私の独断で判断している限り全くできてないに等しい。

心理学でこういう行動をとるとこういうパターンがあるというのも嘘がほとんどであり、それによって失敗している人をよく見かけるが、その学問が正しいかのように刷り込まれているので、たいていの場合なにを言っても無駄である。

これは恋愛心理などで特によくみられる。
 
もし仮に相手を見るのであれば目などを見るよりも表情筋を見るのが基本である。

目は意志を表現しやすいのでごまかしやすいのだが、口輪筋などは非常にごまかしが効きにくい領域である。

まあ他にも山ほど相手が透けて見える手法論はあるのだが、それが見えてくると愛を語ったり正義を語ったり恥を語ったりする人々は、ほぼすべてすさまじいまでの嘘つきであり、しかもその嘘を覆い隠すことに長けていることに気付く。
 
言葉遊びをしている人の言動不一致や口だけ論を見ることも多いのは事実だが、たぶん日本人がこれからもそういうのに騙されないようなるのは不可能だろう。

日本人が自分のついている嘘に気付くのもまた不可能だろう。

そんなことばかり考えるようになったから、私もこんな悲観主義の虚無主義になったのかもしれない。

私は人の言葉など決して信用しないし、表立って見える行動さえも信用しない。

近しい人であってもそうだろうし、それはまた自己の心理でいえば強固な防御反応だということも言えるだろう。

konishi.M