わずかな食事と
簡素な生活だけで十分であり、

頭脳の良し悪しよりも、
素朴に生きられる力の方が
なんと素晴らしい事でしょう。

二宮尊徳が
「この秋は雨か嵐か知らねども
われは今ある田の草取るなり」
と詠われていましたが、

素晴らしい胆力と
落ちつきではないでしょうか。

未来をあれこれ思い煩わず、
毎日をきちんとこなし、
未来の変に備える方が
心が揺れなくていいです。

今を漫然と過ごしているならば
日の暮れは早く、
なんとなく一日は過ぎてしまいます。

今日も明日も
同じように時間は飛び、
十年、二十年は台風の風に乗った
破れ紙のように舞い散り飛び去っていきます。

大きな病を得て
生命を半年と区切られた時初めて
一日は充実し、
真冬の最中に木々の芽吹きを見て
感動する人が多いです。

命を限られて
そこで輝くのも素晴らしいです。

それでもいいですが、
その前に気づいて欲しい。

人に役に立つ事に目ざめ
「ありがとう」とたくさん言われるようになると、
太陽の光、
緑の光線、
若葉、
紅葉の美しさ、
そして移りゆく季節の移ろいを
愛しく感じ始めることでしょう。

草の下にも
枯れ木の中にも命がひそみ、
大木の木陰にも
小さな白い花が五弁の花を拡げ、
全ての生きものが
今を精一杯生きている事に気づきます。

あまり健康で順調でありますと
その幸せに気づかないで、
ありきたりの日常をただなんとなく、
幸せなのか不幸なのか、
不満の中で過ごしてしまいます。

神が与えてくれる大きな病、
挫折と失敗と苦情という試練、
その心と体の傷みこそ、
あらゆる命がともに
この地上に生きている事を教えてくれます。

人間だけが特別ではありません。
この大自然は
人間の為だけにあるのではないのですから、

河をコンクリートで固め、
道をアスファルトで固めつくして、
日本中から
鳥やトンボや蝶を追い出して、

夜も明るい
ビルとネオンの山が楽しいでしょうか。
ただ悲しいだけではないでしょうか。

人だけが特別なのではないのですから…。
いつも優しい瞳を人にも草にも、
虫にもトンボにも向けたいものです。

体の外側の行では
人は清らかににはなりません。

身を飾り、
ベンツを乗り回し、
ローレックスで外側を固めても
内はぐらついています。

洗い立てのシャツで
清潔な人ほど美しいです。

顔を上げ、
瞳を天に向け、
親を敬う人ほど輝いています。

内を清め、
心を清め、
行いを清めましょう。
中心軸に添った生き方を求めましょう。

konishi.M