広報誌MAMMY LIFE 第232号 JRタワークリニック 院長 晴山仁志 | 札幌マタニティウイメンズホスピタルのひだまりブログ

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広報誌MAMMY LIFE

~ブログ版 第232号~

 

~私と江差~

 

JRタワークリニック 院長 晴山仁志

 

歳を取ったせいでしょうか、毎年お盆が近づいてくると、自分の故郷のことを思い出します。私は道南の江差町で猛暑の8月に生まれました。母親の出産は常位胎盤剥離で、仮死で生まれたと聞いています。産後も虫垂炎で更に大変であったようです。

 

私は、虫取り、鬼ごっこ、かくれんぼなど楽しく5歳まで江差で過ごしました。公務員の父親の転勤で5歳の初冬に札幌に転居しました。田舎暮らしで幼稚園も行かずに育った私は、初めての社会生活のデビューである小学校1年生に入学してからは、緊張の連続で 背もたれから背中を離し、授業中もずっと背筋を伸ばして座っていたことを今でも記憶しています。

 

また江差は東北弁に類似した浜言葉が一般的で、この言葉を聞いたら喧嘩しているように聞こえます。独特のイントネーションは今となれば慣れると妙に味のある言葉となりますが、小学生はそんな余裕なんて全くありません。江差は「えさす」、寿司は「すす」と聞こえます。私の名前はひとしで一生懸命練習しても「しとし」としか言うことができず、国語の時間に朗読させられた時は最悪の魔の時間でした。

 

 しかしさすが子どもは適応力もあり、徐々に小学校生活も慣れ、楽しんでいた頃に父親が虫垂炎破裂による腹膜炎、回復後は肺結核に罹患し、2年間の療養所での薬による治療でも治癒しないため、当時は合併症で死亡率も高かった肺切除手術を受けました。手術後の胸腔ドレーンをいれた痛々しい姿が今でも脳裏に焼き付いています。そのよう背景があって、私が医師になるきっかけになったかもしれません。

 

江差町はかつて北前船の往来やニシン漁で栄えた道内最古の港町です。昨年の人口は6693人まで減ってしまいましたが、江戸時代の最盛期には人口は約5万人を超え「江差の五月は江戸にもない」と江差追分にも歌われるほどでした。現在、江差町の最も有名なものは道内最古の姥神大神宮渡御祭です。380年の歴史があるお祭りで毎年8月9日から11日まで開催されます。豪華な「ヤマ」と呼ばれる所属町内毎の豪華な山車13台が、子どもの奏でる祭り囃子にのせて狭い町を練り歩きます。一行には子どもから高齢者まで参加する。山車ごと異なる旋律を持つ祭り囃子は主に子どもが担当します。小学生は太鼓、中学生は笛を奏でます。高校生は電線が山車にひっかからないように、先がU字形の棒で電線を持ち上げる「線とり」を務めます。若者は巡航や切り声を仕切り、高齢者も山車を引き、期間中は世代を超えて祭りに酔い、地元住民だけではなく、以前に江差で勤め、祭りの活気に魅了された転勤族の参加も多く、この期間中は江差の人口の3倍の人が集まると言われています。是非とも江差町の祭りにかける粋と情熱を一度拝見して感じていただきたいと思います。