英語圏の映画でそういうの見たことある気がするっていうか、映画の中では喧嘩した後の仲直りのお決まりって感じのするセリフだけど、実際これはどうなんだろう?
場面、関わる人間の性格や行動の組み合わせは沢山あるから、それでしっくりくることもあるだろう。
でも、やっぱり実際、どうなのか、と思う。
そもそも何に対して
I’m sorry
なの?
と思う。
映画見てると、大概、言ってほしいタイミングみたいなのがあって、それに合致するからその場面が成立する。
でもこれ、
I’m sorry
だけど、根底には
I love you
があるから
許して(赦して)くれるよね?
って魂胆しか見えない。
何か悪いことをした、悪い局面を迎えることになった原因が何かを追求しない。だけど、水に流そうよ、I love youだし。
それが肌に合わない。
気持ち悪い。
人を故意に傷つけること、
精神的にも身体的にも、それはダメだと思っている。
うちにいるデカいやつは、私がそれらに見合っているから、デカいやつが私を傷つけるのは当然だと言ってきて、この上なく憤慨している私のところに来て、映画でお決まりのことを言って、さあ次行こう!と言う。
で、はぁ?何がsorryなわけ?こんな怒りが収まらない状況でI love youはないわ!って言ってる私に再度怒り出す。
何が悪かったのか、私がどう思っているのか、その考慮が一切なく、I’m sorry love you で済ませようとするから同じことが何度も起きる。
私は私に嫌なことをする人間にはI love you の感情が湧かないし、それが繰り返されるなら尚更だし、きちんと話そうとする人には向き合えるけど、その気のない人には時間がもったいないと思っている。
それで強制的にI love youってお互い言うもんだとか言われても無理だから。
キリスト教社会は許されることが前提、って誰かが言ってたけど、許せないことってあるんじゃないかなぁ?相容れないとか含めて…
I’m sorry って言えばいいわけじゃないと思う。
ましてやI love you ならなんでもいいってわけじゃない。