今シリーズの第二回です。


前回、膝立ち練習の運動的意味と、それを楽しんで行えるようにトランプを使ってみた、という話をしました。そして最初は「4+6=?」のような問題を出していたのを、「2枚で足して10になるカード」という逆算にしてみたところ、興味深い現象が見られた、というところまで話をしました。

 

以下、この二つの問題形式、「A+B=?」を順算型、「?+?=C」を逆算型と表現することにします。

さて、順算型では「この子は学校でも真面目に授業を受けているだろうな」「計算ドリルとか早めに終わらせる方だろうな」と思われる、いわゆる優等生タイプの子が早く答えを見つけて持っていくことが多くなりました。まぁ、妥当な結果と言えるでしょう。

ところが逆算型の問題にしたところ、順算では調子の良かった優等生タイプの子の中で、結構な割合の子が苦戦するようになりました。その一方で、「この子は頭の回転はいいけど学校の授業はあまり真面目に受けてないだろうな」「計算ドリルとかなかなか手を付けない方だろうな」という、いわゆるサザエさんのカツオタイプの子ほど、順算型の問題とほとんど変わらないスピードで答えのカードを持っていきました。

ある程度は予想していたものの、正直ここまで顕著に差が出るとは思わなかった、というくらいに。

学校の授業で教えるのは順算型です。教科書や計算ドリルを見てみればわかりますが、教え方にしろ練習問題にしろ、基本的にはほとんどが順算型です。(これは算数に限らず、すべての教科に言えます)

 

カツオタイプは頭の回転が早い+思考が柔軟なところがあるので、普段学校ではあまりやらない逆算型の問題になってもあまり戸惑わないのでしょう。というか、順算型のときより逆算型の方が目を輝かせて生き生きとしているくらいです。

一方、苦戦する優等生タイプは逆算型になると明らかに動揺していました。極端な場合だと、何から手を付けたらよいのかわからず混乱してフリーズしてしまい、1枚目のカードを持つことすらせず、ばらまかれたカードを「探す」のではなく「眺める」だけになってしまう、という例さえありました。

これは何を意味するのか?

たとえば「二枚で10に」という問題だったら、近くにあるカードの中から10未満のカードを『適当に』『とりあえず』1枚取ります。そして一番近くにあって取ったのが7だったら、次に3を探します。これがオーソドックスなやり方でしょう。

なかには、最初に7を取って3を探すも3がなかなか見つからない、そんなときに2と8のカードを見つけたら、すぐに7を捨てて2と8に切り替えて持っていく、ということができる子もいます。これも発想が柔軟なカツオタイプの子に多いです。

ところが、優等生タイプはそれがなかなかできない。まず1枚目を取るところで苦戦します。これは「どれを1枚目として取ったら正しいのか」を考えてしまっているためのようで、優等生的な思考ゆえに「間違えてはいけない」「最初から正しく」という気持ちが強く、『適当に』『とりあえず』1枚目を取ってみる、ということができないためと考えられます。

そして、もし1枚目に7を取ったら、その後ひたすら3を探し続けます。でも場合によっては3が他の子に取り尽されてることもあります(トランプは各数字が4枚しかないので)。すぐ目の前に2と8があっても3を探し続けます。これもおそらく優等生的な思考で「それを途中で放り出してはいけない」と考えているものと思われます。

学校では基本的にすべての教科を順算的に教えます。だから先生の言うことを良く聞く子ほど逆算的思考に慣れてません。そして「最初から正しい(極端に言えば唯一の)やり方でやらなければならない」「それ(教えられた手順)以外のやり方でやるのは間違いだ」と教えます。漢字の書き順、ひっ算の横線を定規で引く、ノートはこう書く、教科書は1ページ目から、先生が教えた解き方以外で解いたら答えがあってても×になるテスト、などのように。

そのため、『適当に』『とりあえず』というのが許されません。だからそれに適応した優等生タイプは逆算型に弱く、逆に『適当に』『とりあえず』ができるカツオタイプの方が逆算型に強かったりするわけです。

学校の教え方が間違っているとは言いません。それぞれ程度の異なる多くの子に対し一斉指導をしようとすれば、最も多くの子が一定水準になる確率の高い指導法をしなければならないのは当然です。最大多数の最大幸福、というやつです。ただ、それと「それ以外のやり方はダメ」というのは違うのではないかな、と。学校でやる勉強やそのやり方は、あくまで無限の学問範囲の一部、無数にあるやり方の一つに過ぎません。

実は順算型のやり方、解き方だけを教えることには大きな弊害があります。それは「順算型で上手くいくのは学生の間だけ、社会に出たら求められるのは逆算型」ということです。

どの仕事をしていても「求められる結果」が先にあります。そしてその結果に至るにはどうしたらいいかを『逆算的に』考えて、導き出し、実行せねばなりません。積み上げていって結果=答えに至るのではなく、結果=答えが先にあって、そこに至る道筋を逆算で一つずつ落とし込んで実行していく、というのがほとんどなのです。


求められる結果が10で、手元に7があっても、3のカードがもうないならば、またはなかなか見つからないならば、別ルートで10にしなければなりません。どれだけ一生懸命3を探して見つけたとしても、先に2と8を持ってきた方が評価は高いのです。
 

どころか、今求めている10という結果すら、その更に先にある結果から『逆算的に』導き出した前段階や過程に過ぎず、その更に先の結果、そのまた更に先の結果から、『逆算的に』考えて段階を作っていくことができないといけません。いわゆる「仕事ができる人/できない人」を分ける大きな要因の一つとして、この「逆算で考えるか/順算で考えるか」は大きいと個人的には思っています。

ある意味、順算思考とは巣でエサを待つひな鳥のようなものです。与えられたエサをどれだけ上手く口に入れて消化できるか。エサは親鳥が持ってきてくれます。食べられないエサは持ってきません。必ず食べられる(答えがある)ので、どれだけ上手に口に運べるか、ちゃんと消化できるかが課題になります。

逆に、逆算思考とはエサを自分で採りに行くようなものです。どこに行けばエサがあるのかを自分で考え、探しに行き、見つけなければなりません。これが正解というルートは一つではありません。選んだ選択が間違いの可能性もあります。でも絶対的な唯一無二の正解を考えてから動こうと思ったら、絶対安全なやり方を見つけてから動こうと思ったら、答えが見つかる前に餓死確定です。
 

ときには『とりあえず』食べてみて激マズだったり、食べられないものだったりすることもあるでしょう。でも『とりあえず』やってみるしか、動いてみるしかないんです。自分でエサを探そうと思ったら。

学生の間は学校や先生が「答え」という栄養のあるエサを与えてくれますが、ひとたび学校を出て社会に出たら誰もエサなど与えてくれません。口を開けて待っているだけの人間に直接エサを与えてくれる人などなく、最初のうちこそエサの捕り方や見分け方の初歩は教えてくれますが、それも初歩だけ。そこから先は自分で『逆算的に』考え、『とりあえず』自ら行動し、失敗しながらも経験を重ね、自分で自分を成長させていくしかないのです。

順算が悪いとか、必要ないとか言っているわけではありません。むしろ順算は絶対に必要です。順算ができなければ逆算はできません。ただ、言い換えれば順算は逆算のための手段や過程に過ぎません。順算だけでは片手落ち、順算と逆算の両方ができなければならないと言いたいだけで。

なので、うちの膝立ちトランプでは小学生クラスの問題のほとんどを逆算で出します。今述べたような「社会人として」とか「人間として」という尺度から見れば「?+?=10」なんて全然初歩の初歩ですが、でも初歩の初歩だからこそ、です。

幼児なら数字に慣れ親しんでおくだけでも小学校入学後の算数への苦手意識が多少は減るでしょう。小学生なら簡単な計算に慣れ親しんでおけば暗算の初歩として役に立つでしょう。そして逆算に慣れ親しんでおけば、もしかしたらそれが将来必須となる「逆算的思考」の種になるかもしれません。種とまではならなくても、肥料の一つくらいにはなるかもしれません。

 

実際、先に述べた逆算で苦戦する優等生タイプの子も、何度かやるうちに『とりあえず』1枚目を取ってそこから逆算するということを覚え、逆算でも順算同様のスピードになっていきます。もともとは計算力はあるタイプなので、これは単純に逆算の計算が早くなったというよりは、『とりあえず選んでみる』という決断力がついたものと考えられます。

 

優等生タイプでもカツオタイプでもない、もともと計算が苦手な子であっても、回数を重ねるうちにちゃんと早くなっていきます。その頃にはたぶん、学校での計算も多少早くなっているはずです。算数も数学も結局は四則演算の積み重ね、更に言えば足し算と引き算の積み重ねですから、それが早くなって苦でなくなれば、算数への苦手意識を下げることに繋がるでしょう。

 

また、スペースが限られて一度にできる人数に制限がかかる鉄棒週以外は、トランプをわざと裏(数字じゃない方)にして置いています。これは一つにはトランプをめくる行為自体を指先の訓練にしているためです。指先の器用さはあって困るものではないですし、指先の運動刺激は脳を活性化させもします。

 

更に、めくるまで何の数字かわからない運要素を入れることで、

・単純に計算の早い子ほどゴールも早くなるわけではない

・計算が多少遅くてもめくる行動や決断の早ければ逆転もあり

・運が悪ければめくる、計算、決断のすべてが早くても負けるときもある

・でも膝立ちが早ければそこで逆転もまたあり得る

というゲーム的要素を付け加えています。ゲームとしてはただの計算早解き大会じゃ面白くないですからね。一つの能力指標が必ずしも絶対の勝敗予想になるとは限らない、そこで負けても他の能力やその組み合わせ次第で逆転も可能、というのは世の中全般にいえることですからね。

 

でもなかには、「3,3,3どこ…」と探している子に、自分のほしいカードを探している途中で3を見つけた子が「ほら、3あったよ」と教えてあげたり、渡してあげたりしているときもあります。これは、自分の探し物だけに集中するのではなく周りも見えていて、かつ自分も探索中なのに他人を助けることができる心の余裕があるということ。そういう場面を見ると、たとえその子が計算や運動が苦手であっても、「やるなぁ、大したものだ」と感心します。


さて、随分長くなってしまいましたが、もともとは「子どもを飽きさせないように/楽しんで取り組んでもらえるように」と思って始めてみたトランプですが、今ではこのような考えや思いを込めてやっていたりします。もしいつか、うちの子どもたちがそれなりの歳になってこの記事を見たら、「え?あれってそんな深い意味があったの?」と驚くでしょうね(笑)

 

ちなみにこれはトランプ以外のカードでもそうなのですが、幼児では1回持ってくればそのターンは基本終わりですが、小学生クラスでは制限時間を設けて、時間内なら何度行ってもよしとしています。45秒で3,4回往復する子もなかにはいます。中級後半から上級くらいになると慣れてサボる子も出てくるので、「何回正解したらクリア」とノルマを課すこともあります(笑)
 

さて、うちにはトランプ以外のカードも多々あるので、次回以降はそれについて紹介したいと思います。一応、それらのカードにもトランプとはまた違った「狙い」がそれぞれありまして。

 

とはいえ、今回ほど長い説明にはならないと思います。唯一「質問カード」というのだけはもしかしたら今回並みの長さになるかもしれませんが、まずはそれ以外のカードの説明を先にしますので。まぁ、種類が多いので、全部は紹介しなくても主だったものだけで数回分になってしまうかもしれませんが…。

それでは、また♪