「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」-ビスマルク

というわけで、歴史の勉強です。体育教室ですが歴史の勉強です。ブログでだけなので大丈夫です。教室の授業ではちゃんと体育やってます(本当に)

 

さぁ、「漫画で読む古典」シリーズもいよいよ4冊目の最終回。最後は鎌倉時代末期から室町初期について書かれた『太平記』です。

前回の『吾妻鏡』は少女漫画の画風でしたが、一点今度は劇画調の濃い~顔です。それもそのはず、今回の作画はゴルゴ13の作者さいとうたかを。今にも足利尊氏や後醍醐天皇が狙撃されそうです(笑)

では、中身に行ってみましょう。『吾妻鏡』でドロドロの権力抗争を繰り広げた鎌倉幕府ですが、その後なんとか北条家を中心として二度のモンゴル来襲(元寇)も退け、これで天下はしばらく安泰、北条家は我が物顔…という空気の中で登場するのが「後醍醐(ごだいご)天皇」です。

この当時は若くして(子どもの頃に)天皇になり、そこそこの歳になると譲位(引退)というのが天皇の通例になっていましたが、宮廷政治で冷や飯食わされていたため即位がオッサンになってからだったという、この後醍醐天皇。即位するや、それまでの鬱憤を晴らすかのように精力的に動きます。

院政の廃止や、高い通行料を要求する関所を廃して経済活動を活性化させたり、飢饉の際に民に安価で米を卸すなど、善政といえる政治を行います。オッサンだったせいか(笑)、お飾りの無能ではないんですよね、この人。そしてその裏で、密かに公家たちを中心に鎌倉幕府打倒を目指した活動まで始めちゃいます。

最初はその企てが露見して腹心数名が幕府に捕らえら(正中の変)、次は更に大きな規模で挙兵するも失敗して隠岐に流されます。しかし息子の大塔宮の討幕活動や楠木正成による幕府軍の足止めによって京の幕府兵力に隙ができると、足利尊氏や赤松一族らが朝廷側に味方して京を急襲、制圧。京と関東が分断されている間に、関東では新田義貞が幕府に反旗を翻し、幕府軍と戦って撃破、鎌倉幕府を滅ぼしてしまいます。

『太平記』の内容を3つに区切るとしたら、ここまでが第一幕といったところでしょうか。天皇が動いて各地でそれに従う者が挙兵して朝敵を討つという流れは、『平家物語』で後白河上皇に呼応した各地の源氏の挙兵により平家が滅ぼされたのと似ていますね。

第二幕の幕開けは、後醍醐天皇が京に戻って建武の新政という公家中心の政治を行うところから始まります。とはいえ、いきなり平安時代のような体制を築けるわけはなく、まずは戦後処理を行わなければいけないのですが、後醍醐天皇率いる朝廷はここで大きくやらかします。

鎌倉幕府打倒や後醍醐復権に対する恩賞の決定に際し、実際に犠牲を払って戦った武士よりも公家や寺社に多くの恩賞(荘園)を与えたり、大した功績のない者が有力者に賄賂を贈って大きな恩賞をもらったりと、必死に戦った武士たちから不平不満溢れる戦後処理をしてしまいます。

また、そうした流れの中で、同じ朝廷側として戦った足利尊氏と新田義貞の間の確執や、部下が略奪や不祥事を繰り返したことによる大塔宮の京追放など、味方内での権力争いが起こったり、無能な公家たちによるアホボケ政治が行われたことで政治はグッチャグチャになります。

そこへ北条残党の挙兵→足利尊氏による討伐→尊氏の関東支配→その尊氏を新田義貞に討伐させようとして失敗、という流れにより尊氏は後醍醐天皇に見切りをつけ、兵を率いて京を制圧します。後醍醐天皇は叡山に逃れますが、これで足利尊氏と後醍醐天皇の対立が決定的になり、武家政治の足利側、公家政治の天皇側という南北朝時代の構図の原型ができあがります。

ここまでが第二幕といった感じです。まぁ、後醍醐天皇やらかしちゃいましたね(苦笑) 有力者同士の確執が内部抗争に発展、というのは『吾妻鏡』の鎌倉幕府に似ています。しかし鎌倉幕府がなんだかんだ「武家による武家のための政治」を目指したのに対し、後醍醐天皇は「公家による公家のための政治」を目指してしまったため、味方してくれた武士たちの多くに離反され、足利側に走らせてしまったのが大きな失敗ですね。

まぁ、どんな時代の戦いも始めるより終わらせる方が難しく、また終わらせるより終わった後の処理の方が更に難しい、といったところでしょうか。

第三幕では、この足利vs後醍醐という対立図による戦を延々と繰り返します。後醍醐側が京を取り戻せば足利側が取り返し、更に足利側が追い打ちをかけると後醍醐側がそれを破って京を攻め、それを再び足利側が破って巻き返し…と、そんなことが何度も何度も続きます。もう、お前らいい加減ケリつけろや、と(笑)

ただ、その中で後醍醐側の有力武将だった楠木正成や新田義貞、北畠顕家らが討ち死にし、後醍醐側は戦力的に不利になっていきます。そしてついには後醍醐天皇も病で亡くなり、このまま足利側の勝利かと思いきや…足利尊氏とその弟の直義が色々あって対立、今度は兄弟同士で戦を始めます。お前ら、一体何やってるんだ?争わなきゃ死んじゃう病気かなにかなの?

この戦いに勝利した尊氏は室町幕府の将軍としてその後の南朝や各残党との戦いにも勝利しますが、まだ南朝を滅ぼすには至らず、二代将軍義詮の病没で『太平記』は終わります。漫画なら打ち切りエンドですね(笑) その後、三代将軍義満の代になって、ようやく南北朝は統一されます。

まぁ、『太平記』の大まかな内容はこんな感じなのですが…先にも書いたように『平家物語』や『吾妻鏡』と似たような対立構造とその原因が多く、人間ってホント学習しねぇなぁ…進歩しねぇなぁ…と思い知らされます(苦笑)

ただ、まぁ、鎌倉幕府のヤンキー抗争のような「不意打ち」「謀殺(暗殺)」ってのは意外と少なく、対立する者同士が軍勢を率いていくさを行うという点では、雰囲気は戦国時代や三国志なんかに近いです。その点では『吾妻鏡』より面白いのですが、大きな軍が動いている分、民はより大きな迷惑を被っているわけで…。

あ、あとこの後の世、戦国時代~戦前まで楠木正成というのは非常に高く評価されていて、何かあると「かの楠木公は…」と言われたりするくらいなのですが、今回『太平記』読んでその理由がわかりました。楠木正成、カッコいいもん(笑)

後醍醐を一度も裏切らず、負けるとわかっていても戦い、最後は壮絶な討ち死に。最後に討ち死にしたのも無能な公家に案を退けられて無謀な戦いをする羽目になったからで、正成自身が主導して指揮した戦いならどんな劣勢な戦いでも負けてないんですよね。頭がキレて戦略・戦術眼に優れ、武士としても勇猛、それでいて驕らず、節度のある忠臣。『吾妻鏡』で出てきた忠臣・畠山重忠と同等か、更にその上位互換といった感じです。でも、忠臣というのは上の無能や周りの妬みのせいで悲運の最後を遂げるのが常なんですよね…。

あと、歴史を勉強している中高生は
・後白河上皇(平清盛と対立、院政の弊害の極地、ひたすらクズ)
・後鳥羽上皇(鎌倉幕府と対立→承久の乱起こして島流し)
・後醍醐天皇(鎌倉滅ぼす→建武の新政→足利氏と対立→南北朝の南朝→実質負け)
と三人の天皇を覚えておくとよいでしょう。後○○って天皇はロクなことしねぇな、と(笑)

以上、『太平記』の内容&感想でした。

さて、これでようやく「漫画で読む古典」シリーズも終わりです。次回はトータル的な感想なんかを書こうかなとも思ってますが、雑談もしたいし、でもテスト期間入って事務メッチャ忙しくなるしで、次回更新の時期も内容も未定です。暇があって気が向いたときに書きます。

それでは、また♪