前回、ブローデルの「歴史の三層構造」を紹介しましたが、今日はその続きです。


まずは前回の要約をすると、歴史とは下の図のように捉えられるということになります。



まずは長波=自然・環境が土台にあり、それを基盤として中波=文化・経済が成り立ち(動き)、


更にその上に短波=個々人の動き、その集合体としての事件史が成り立つ、というわけです。


簡単な例を挙げると、


・鉄を産出する自然環境があったから、鉄器の時代が来て文化が発展した(長波→中波)


・インターネットという文化的基盤から、スマートフォンが生まれた(中波→短波)


という感じです。




また、一見逆のように見える例も、少し挙げておきます。


・人間は自然環境を壊してるよ?これって中波→長波ってことじゃないの?


 ⇒それだけの文化レベルにまで発展できたのは、それ以前の自然環境があったから。


  また、破壊された自然環境への対応を迫られるので、結局「長波→中波」といえる。


・明治維新(事件)は江戸時代(文化)を否定して壊したよ?これって短波→中波では?


 ⇒江戸時代=鎖国時代があったからこそ、ペリー来航を期に明治維新が起きた。


  江戸幕府が鎖国をしていなかったら、もっと緩やかに近代化していたかもしれないし、


  それ以前に他国の植民地になっていたかもしれず、どちらにしろ明治維新は起きてない。


  (それはそれで、その場合の文化に対する維新的なものは起きたかもしれないが、


   それはパラレルワールド的な話であり、この世界での「明治維新」ではない)


というように、結局は下部構造によって上位構造が規定されていると説明できます。




まぁ、学界ではこうした捉え方に対し、また批判や反論があるのかもしれませんが、


ここでは歴史学の考察が本文ではないので、大目に見てください(笑)


私が三層構造という考え方をこのブログで取り上げたのは、


あくまで「歴史観として正しいかどうか」ではなく、


「三層構造という『フレーム(枠組み)』をどう自分の考え方として応用できるか」にあります。


次にそれを見てみましょう。




まず、三層構造というフレームを見てみると、下の図のように捉えることもできます。



短波・中波・長波というのは、時間としては左の図のようになります。


これは、そもそも短波・中波・長波という呼び方自体が変化の速度から付けられているので、


わかりやすいし、異論もないかと思います。




問題は右の「分析用フレームとして」の方なわけですが、これは私独自の解釈です。


何らかの現象を見ると、そこにはその現象を引き起こした原理(背景)があります。


この場合の「原理」とは、数学的な厳密な法則や絶対的規則というよりも、


大まかな背景、もっと大雑把にいえば「理由」や「原因」くらいに考えてもらえればいいです。


いわば、その現象が起きるに至った経緯や道筋であり、


かつ、可能性として他にもいくつかあった道筋の中で「その道筋」を通るに至らしめた「背景」です。


そして、そうした原理が作動するには必ずその基となる前提条件があります。




前回挙げたルネサンスの例に当てはめると、


  地理的な「前提条件」という枠の中で経済的に栄えるに至ったイタリア文化という「原理」が、


  後にルネサンスを代表することになる様々な作品という「現象」を生み出した。


といった感じになります。


そしてこの「分析用フレーム」という考え方は、


「地理・環境/文化・経済/事件」というブローデル的な字義に当てはめなくても、


より純粋に、かつ広範に「前提条件/原理/現象」として適用することができます。




例えば、私が八千代市から新宿に行ったとします。


新宿着という「現象」が起きるには、まず「前提条件」として


電車や車、自転車、足(徒歩)の存在があります。


(当然ながら、存在していない「どこでもドア」は前提条件になりません)


次に、これらの移動手段から電車を選ぶとすると、そこには


・電車なら時間に正確で予定時刻に間に合う


・車を持ってない、あっても道路の渋滞に巻き込まれたくない


・自転車や徒歩だと時間以前に体力的に死ぬ(笑)


というように、電車を選ぶに至る原理(背景、理由、原因)があります。


その原理が作動する(実際に行われる)ことによって初めて、


私が新宿に行ったという「現象」が発生したわけです。




このように、この「分析用フレーム」を言い換えると、


前提条件=選択肢の存在そのものを規定するもの、選択肢を生み出すもの


原理=生み出された選択肢群と、その中で一つの選択肢を選ぶに至った理由や背景


現象=ある選択肢を選んだことにより発生した事柄


と表すことができます。




ある現象の発生構造を「歴史の三層構造」として厳密かつ字義通りに適用して分析しようとすると、


どうしても「地理」や「文化・経済」といった枠に捕らわれざるを得なくなります。


しかし、それをこの「分析用フレーム」という三層構造に変換すると、


先の新宿着の例のように、より広範な分析ツールとして適用することが可能になります。


そして、この拡大解釈ともいえる変換こそが、先に述べた


「三層構造という『フレーム(枠組み)』をどう自分の考え方として応用できるか」


ということになるわけです。




非常に抽象的な話になってしまい、わかりにくかったかもしれませんが、今回の話をまとめると



「ブローデルの歴史の三層構造(左)の考え方を、より汎用性が上がるよう変換した(右)」


というだけのことだったりします。


あくまで右への変換は、誰に教わったわけでもなく私の独自解釈ですが、


たぶん似たような解釈をしている人は実際結構いるんじゃないですかね。




さて、次回はこの変換したフレームを更に再変換します(笑)


そしてその再変換したフレームをどう体育指導に活かせるのかについて、述べたいと思います。


まぁ、それが書きたいからこそ、前回今回と抽象的な話をしてきたわけで。




ちなみに今、午前0時を回りました。これを書き始めたのは授業前です。


その後、通常クラスと成人キックが終わってから事務作業を片づけて、


それから続きを書き始めました。


たぶん今回の記事を書くのに3時間以上費やしてます。(バカ)


まぁ、今回はわかりやすくなるよう、図も作ってたから余計に時間がかかったんですが…。


そんなわけで、今からお家に帰ります。


今日は自転車で出勤したので電車なくて帰れないということはないのですが、


逆に終電を気にしないで済むからこそ、こうなってしまうわけで…。


今は少し反省していますが、たぶん寝たら忘れます。(やはりバカ)