こんにちは!
今朝から思いがけない知り合いから幾つかメッセージが入り嬉しくなりました。
1人は今の業界で仕事をするきっかけを作ってくれた(要は採用してくれた)会社の元上司。今インドで駐在をしているのですが、今週帰任して晴れて退職すると言っていました。
インドで3年間単身赴任。。。お疲れ様でした。
もう1人は1つ前に勤めていた会社で同僚だったお姉様。ここにまだお勤め。。
どうしたのかと思いきや、私も転職する! 到底耐えられない!と言いだしました。
以前は、色々あっても、後ちょっとでリタイヤする年だからここで全うする!と言っていたのですが。。。
多分vent out(愚痴る、文句を言う)したので落ち着くかと思いますが。。。
彼女はラテン系特有の明るさがあるビッグママ気質。
仕事の姿勢は極めて真面目で厳しい。
そして歯に衣着せぬ物言いで、はっきりしています。
業界も長く彼女が担当している業務は彼女じゃないととみんな思っているので上司にもダメなものはダメと言えます。
仕事の姿勢についても、自分にも厳しいけど他にも厳しく、彼女の子供ほどの若い同僚にもボス達にもスパっと言い。。
一度2人で出張に行った時にゆっくり話す機会があり、どこからそんな強さが来るのかと聞いてみました。
もともと彼女はキューバからの移民だったそう。
1960年代のキューバ危機のため、70年代に家族5人で逃げて来たと言います。
当時小学低学年だったそうですが、彼女の祖父母は「一緒に行かない」と頑なに断って、悲しかった事を覚えていると言っていました。
キューバ系の多くの人達がフロリダや東海岸を目指すらしいのですが、彼女の家族はさらにに西のカリフォルニアを目指したそう。
それから必死に英語を勉強して、訛りを意識的に矯正したと言います。
やっぱり訛りでいじめられたり、当時はあったようですね。
働きながら大学に行って、航空機業界に就職したけど余りにも大変!で自動車業界に落ち着き今がある、と言っていました。
ラテン気質で明るい分、普段は感じさせないのですが、そういったバックグラウンドを聞くとバイタリティがあるなあと感心します。
もう1人、1つ前の会社で知り合い仲良くなった同僚がいます。
彼女はベトナムからの移民です。
最初会った時は、ベトナム系かタイ系アメリカ人と思っただけで特に気にしませんでした。
しかも彼女も言葉キツイキツイ。。単刀直入でこっちのペースには合わせません。。
彼女はITで、使っているシステムやデータの事で何か問題あると彼女に聞かなくてはなりません。
IT頭の人が噛み砕いて説明してくれなかったら凡人の私にはわかりませーん。
同僚「なんでわかんないの?!?」
私「だってあなたと同じ思考回路じゃないもん!」
1度、本当にカチンと来て「わからなくて聞いてるんだからそこんとこわかってよ!」
と率直に言ってみると、「オー、そう??(そう??ってどう言う事ですか?)悪い悪い!」
と素直に謝って来ました。そこからだんだん仲良くなり。。。
ある日雑談の中で彼女が私に、いつアメリカに来たやらどうして来たやら聞いてくるので、「じゃあ〇〇は?」と聞くと、さらっと
同僚「私は難民よ〜、ボートピープル。でも飛行機で来たけどね。」
私
同僚「ベトナム戦争で親と一緒に逃げて来たのよ」
私「あれだってさっきタイから来たって言ってなかったっけ??」
同僚「タイは中継地でベトナムからの”送られて”来てタイのビーチの近くで一年くらいキャンプ生活よ。」
聞くと当時7歳くらい。。。
命からがら逃げてビーチのキャンプに1年も。
竹のベッドで寝起きして痛かったとも。。。
当時生活していたキャンプの崖をよじ登ると、壁越しにリゾートホテルのプールサイドが見えて、別世界だったと言っていました。
そこからアメリカに渡り、彼女もキューバ系アメリカ人の同僚同様に頑張って学校へ行ったそう。
2人に共通してるのは、後ろ盾がない分自分で自立する術を身につけて来ている事。
どこ出身だからと括るつもりはないのですが、バックグラウンドが違う分、私も含め日本人は帰りたかったら帰れるというのがあるけど、彼女たちには毛頭ない考えなんでしょう。
歴史の教科書か映画だけのお話と思っていたことが身近に同僚の体験談として聞けるのは、アメリカ特にカリフォルニアならではかなあと思います。
みんなそれぞれ大変さの度合い違っても、それでも前向きに生活してるんだなと改めて思います。
(しかし若い世代だとまた違うんだろうなー。。。)
彼女達ほどのバイタリティはないですが、私もオープンマインドでこれからも行きたいと思います。