こんばんはお月様

本当の自分で生き、大切な人との関係性を高めるお手伝いをする

誕生数秘学カウンセラー・ティーチャーの《ゆうみ》です。


震災から5年。
今年も2時46分に被災して亡くなられた方々に黙祷を捧げました。

毎年あの時の事を家族と話すのですが、忘れられないはずの記憶も段々に薄れて曖昧になったところがあります。

忘れないように、少しブログに書いて置くことにしました。



私は震災当時、仙台に住んでいました。

あの日は公園に一時避難して、揺れがおさまるのを待ちました。

独り暮らしのマンションに帰ると…こんな感じ。


足の踏み場もありませんでしたが、ワンセグで知った津波の被害に会った人達を思えば、何てことないと感じました。

建物の傷み具合、電気やガスがいつ復旧するのか、食糧、治安のことなど、一人でいては何もわからないので


すぐに玄関に準備して置いたリュック(水2リットル、3ヶ月持つパン、水分がなくても喉を通るバナナ、タオルなど)を背負い

ノートパソコンとWi-Fiを持って家を出ました。


※なぜリュックを用意していたかというと、数日前に強い余震かあり、いよいよ宮城県沖地震かという気がしていたのでした。



大きな通りに出て人の流れについてゆくと、避難所となっている小学校につきました。

体育館には大勢の人がいましたが、知り合いはいませんでした。

日が暮れるにつれ暗くなってゆく中、パイプ椅子に座って黙々とバナナを食べ、その後周囲の5~6人と自己紹介をし合い、それから3日間はその人達と共に過ごしました。

※バナナをすすめても食べた人はいなかった…そんな気持ちになれなかったのでしょう。

行動を共にするグループを作ったのは正解でした。

1人では歩けないお婆さんがいたので、交代でトイレに付き添ったり、代わりに炊き出しのお握りを貰ってきたり、荷物の番をお願いしたり。
皆が不安でしたので、話し相手がいるというのも、お互いに大切なことでした。


震災の時、避難所に身を寄せた皆が一番欲しかったのは情報でした。

当日避難所にあった情報源はラジオ。

翌日はテレビも設置され号外が配られましたが、

震災当日にノートパソコンでネットニュースを確認出来たのは良かったと思いますおねがい



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最後までお読み頂き、ありがとうごさいます流れ星