いま、息抜きに昔の映画を見ていて現在「ガス燈」(イングリットバーグマン)なのですが

「レディ~」のリナにイライラしない訳って、リナの認知が歪んでいないからかなと思いました。

 

(※ガスライティング という洗脳の手口がこの映画で有名になったそうです)

 

リナは、自分の売りが知性であること、それは田舎の上流社会では喜ばれないこと

また、自分が女としての魅力に欠けている(と家庭で思わされてきている)ことをよく知っていて、

 

だからこそジョニーから女として褒められること、知性でジョニーを導くことが快感で、

家政の仕事にもやりがいを持っている。

ロナルドのようなまともな男性よりもジョニーといる方が自分は幸福(というか依存)だとわかっている。

 

ジョニーの悪事についてもそれがどれだけひどいことか、よーーくわかっています。

惚れた弱みもあるけど、ジョニーにそれを認める能力がないこともわかっている。

 

この手の話ってこの辺の認知があいまいというか歪んでいて、作者自身もどっちつかずで、女性も自分を偽ったり欺いたりしていて(自分に自信がないとか、彼は悪くないとか、本当は逃げ出したいけど出来ないとかイライライライラ(笑))

そうすると「本人の中に矛盾がある」ので、物語を読み進めることが苦痛になる。脚本が一貫していないというか。。。

 

リナは何度も逃げ出そうとしながらも、結局「自分の意志で」戻るし、死を選ぶ時も投げやりとかじゃなくて、

ものすごー――く考えたうえで、ジョニーが戸惑って渡さないミルクソーダを自ら奪って飲み干してるし^^;

 

だからこれがリナの「生き方」なんだということ、

そこに「自信」があるんですよね(長い苦しみで感覚がマヒしているとはいえ)ー

 

でも苦しまないとか平然とはしていなくて、そのたびに心からショックを受けて迷って頑張ってまた傷ついて、、と本気でジタバタしている。相手にも言うしね。そう、この関係はなんだかんだ「女性上位」ですね。

リナはジョニーに最初から最後まで夢中。というか自分のような女性(色々な意味で)がジョニーを夫にしているということに酔っている(依っている)のでしょう。完全にお金目当てならほかにもいるわけだし。。。この辺も実に冷静に見極めている感じがするの。これって逆に男じゃなきゃ書けない小説かもしれませんねー

 

「ガス燈」まだ見始めたばかりだけど、美しい「強そうな」バーグマンが(ムカつくハゲじじい(夫)より背も高そうでがっしりしているし)儚げな自信なさげな女性を演じているのがなんでやって思う(笑)

ビクトリア時代?のロンドンが舞台で、衣装や馬車などにうっとり!です。