「ファンタスティック城の怪人」はひとつの集大成だと思う。だけどあの世界はファンタジーなわけで、その時思ったの。

普通は、外見も美しい人が内面も美しいって無いんですよ(言い切る)。ミッチーは珍しくそう生まれちゃったわけで。

 

更に頭がいいから、バカにもなれないじゃん。そうなると人生がツライ(この世は汚いので)

 

→ エンタメ(虚飾)に生きる

 

というある意味わかりやすいミッチーストーリーを我々は(私は)提供されていたと。

 

(ちなみにファンタスティック城副音声「ミッチーの吸血鬼姿が見たい♪」というまなみんに同意ですが、私が見たいのは怪物くんのドラキュラ伯爵みたいなオールバックに白黒タキシードマントであってね。。(舞台映えはしないけど)19世紀の貴族じゃないのよねー)

 

だけど永遠に美しい人って、それこそドラキュラじゃないし、いないじゃないですか。

 

銀河の「ココロノヤミ」を見たときに凄いな。。って思ったけれど、でもこの人は「まだ、、」というか人間の愚かさ弱さ醜さというものをどれだけ受け入れているのだろうか??と思ったの。(ちょうど去年見た演劇で、そういうのがあって。)やっぱりどれだけ超人だニーチェだといっても、死を受け入れていても、現在進行形の滅び(老いとか)を受け入れるのって、、

ミッチーのような理知的な、、努力ですべてをかなえてきたような、ある意味強者に、どこまでできるのかなって。

 

歌の世界、ファンタジーでどれだけ負け犬を演じていようと(失恋の歌が多い)それってわかるじゃないですか。わざとだなっていうのは。あとね。。私も含めベイべさんたちがミッチーにそれを望んでいるか?というのが。ミッチーに完璧な夢でいてほしいと思っているんじゃないのか?というのも。。だってミッチーだって私たちの弱さを受け入れないじゃないかって言うのも。。これはね「高めあう関係」いわゆるアガペー?に共通のテーマだよね。。カップルもこれを乗り越えられなくて別れることってあると思います。

特にエンタメでつながってる間柄って元々が虚偽でもあるしさ。

 

だけど、ベイべさんたちに共通してるのは「ミッチーの外見だけを好きなんじゃない」「強いミッチーだけが好きなわけじゃない」ってことだと思うのね。

 

ミッチーの「冷笑、諧謔」がこれまでエンタメになっていたのはミッチーが「美しいから」

 

それがなくなった時に、どういう形でエンタメにしていくのか、というのが今問われているのかなと思う。

 

(ていうかまだ全部DVD見てないのに偉そうにすみません。。。)

 

「キザをパロディにする戦略」自体は、スターにしきのとか(笑)別に年をとっても使えると思うし、まぁミッチーならばこんな難しいテーマも逆に燃えて楽しくやれると思ってます。そこにどうやってヤボにならずに「愛」「熱い魂」を乗っけるか。。というところですよね。ただ熱唱では表現できない。(うーん難しい!役者としても)期待しております。

 

追記 投げっぱなしじゃ申し訳ないので^^;他のベイべさんからもお便りあると思うけどわかりやすいところでは、やっぱボイトレ?(正しいやり方で)高峰秀子さんの役者の訓練に「ロウソクの前でしゃべっても火が揺れないようにする」とか色々あるじゃん。そうするとささやき声でもよく通るんだって。演劇も、どっかアクターズスクールとかに短期で留学しちゃうとかでもいいしさ!(無責任)なんかこう肉体を使った表現方法を全然別の視点から。。やってみるってのはどうかなーと思った。おそまつさまでした。